Vol.159

「負けてられねぇ」

クロスオーバーするクリエイション

Special対談 平田暁夫×佐藤オオキ(nendo代表)


86歳の帽子デザイナー・平田暁夫氏と、34歳の気鋭のデザイナー、nendoを率いる佐藤オオキ氏。年齢差のあるふたりが、心をひとつにして取り組んだ本展は、異色の空間構成で訪れる人たちを驚かせた。あの斬新な空間はどうやって生まれたのだろう? 世代を越え“ものづくり”というキーワードで通じ合うふたりが語った。


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― ひとまず会期を終えての率直な感想からお聞かせください。

平田暁夫 あれだけのものが、ふっと目の前からいきなり消えるような不思議な感じでしたよ。僕はかなりしつこく、設営の時にも何度も会場に足を運んだんだけれど、それが、ひと晩でバッとなくなったような… 設営をする時の手際も、搬出の手際もね、まるでマジック(笑)。見事にさっと、僕の視界から消えました。今は夢から目が覚めたという… そんな感じですよ(笑)。

佐藤オオキ 片付けになると早いんですよね(笑)。正直に申し上げますと、設営はけっこう大変でした。今回は36時間で全部やらないといけなかったので…

平田暁夫 あんなのよくできたなって(笑)。

佐藤オオキ 本当ですね(笑)。ローテーションを組んで、スタッフ、事務所も総出でした。常に誰かが現場に何人かいる状態で、フル稼働で36時間。学生さんにもお手伝いいただいて壮絶な36時間でした(笑)。でも、みんな楽しみながらやってくれたみたいで、その日だけの約束だったのに「明日も来ていいですか」って言ってくれる学生さんがいたり。

平田暁夫 よくやってくれるなと思ったね。



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© MASAYA YOSHIMURA / COPIST

― 白い帽子がたくさん空中に漂う中に、平田先生のカラフルな作品が浮かび上がる会場構成が、とても印象に残る展示でした。構想はどのように生まれたのか、スタートからのお話をお聞かせください。

佐藤オオキ 今年の1月に「正式にお願いします」とお話をいただいて、その後、2回ほどの打ち合わせを経て会場の模型をつくりました。模型をお見せしたのが、ちょうど2月でしたね。

平田暁夫 まずね、この人がつくってきた模型を見て、僕は興奮したんだよね。 「やられた」と思った。

佐藤オオキ いやいや(笑)。僕はその時、ドキドキしてたんですよ。先生が模型を見たまま黙られて、じーっと見ていらっしゃって。周りの皆さんは「これはおもしろい!」とおっしゃってくれている中、先生だけはじーっと… すごく鋭い表情で模型を見つめていらしたので、これはやってしまったかなと… 身体中から汗が出るような、そんな瞬間がありました。

平田暁夫 僕はね、この中に僕の作品を置くんだったら、相当頑張らないといけないなと。「こりゃ負けてられねぇな」と、その時、思ったんですよ。



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― そもそも、平田先生はどのような会場をイメージされていたのですか?

平田暁夫 青山のスパイラルガーデンが借りられるということがわかったときに、いったいどんな風にして見せたらいいだろう、えらいことになったなと最初思ったの。あそこは僕もコンベンションや共同の作品展で使ったり、展示を観に行ったりしていたけれど、何しろ天井が高くて広いからね。そうしたら、三宅一生さんがnendoさんを推薦してくれた。僕はね、nendoさんがどんな仕事をしていらっしゃるのかまったく知らなかった。そもそも最初は「ネンド」というのが名前だと思っていたからね(笑)。インドの人かな?って(笑)。

佐藤オオキ それは今、初めて聞きましたけど、衝撃的です(笑)。

平田暁夫 まったく知らなかったからね。それで「nendo」という名前は「自由にデザインする、粘土のように自由になる」ということだというのを聞いて、僕は「これだ」と思ったの。どういう仕事をされているのか、まったく知らなかったんだけれど、名前だけでね、そう思った。三宅一生さんに分厚い作品集を見せてもらって… パラパラと見たら、なんとなく存在感だけはわかったけれども。それにしても、こんなに大きな(身長の)方が「nendo」だとは(笑)。



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― 最初に出来上がった模型では、白い帽子がたくさん浮かぶ会場構成が緻密に表現されています。このアイデアはどこから生まれたのでしょうか?

佐藤オオキ 先ほど「負けてられねぇな」と先生はおっしゃったじゃないですか。まったく同じ感情を、実はその前にアトリエで先生の作品の一部を拝見した時に感じたんです。作品一つひとつがすごく個性的で、ものすごく強い力を放っていて…すべての作品に魂がこもっている。内心「これは大変なことになったな」と思って、事務所に戻って涙目になったくらいです(笑)。何かひとつの軸、ひとつのプラットフォームに載せて紹介できるようなものじゃないなと思いました。先生は本当に自由なんですよね。おそらく一つひとつの作品で、考えてることや切り口、アプローチも全部違う。それをひとつの軸で「平田先生の作品はこちらです」みたいな見せ方にするのは、たいへんおこがましいことだなと思ったんです。



― 個性的な先生の作品をどう見せていくのか。難しい課題であったわけですね。

佐藤オオキ そうですね。そこで先生の自由に比例するように、こちらもどこまでも自由にいこうかなと考えるようになりました。順路を決めたりせずに、人がどう歩くか、どう見るか、どう感じるかという部分を決めない方が、逆におもしろいのかなと思ったんですね。それと、途中で先生が「作品を帽子ひとつだけにします」とか、「200点にします」と突然おっしゃったとしても、自分なりに対応できるような空間をつくっておいて、現場で何が起きても大丈夫な感じにしておけばよいかなと。結果、本当にどこまでも柔らかい空間になりました。会場に浮かぶ大量の白い帽子は、平田先生の帽子とは対照的な、大量生産をイメージさせるものとして考えました。幽霊のような、抜け殻のような帽子。平田先生の一点物の作品との対比を見せたいなと考えたんです。



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会場構成の模型

― 平田先生は、大量の白い帽子が浮かぶ模型を前にして、どう思われたのですか。

平田暁夫 これを実現できたらすごいことだなと。彼の計算で言うと、あの白い帽子は4千個分だったのかな? あの帽子、実は僕がちょっと欲しいような形にいじっ ちゃったの。彼はきちんと帽子の大きさまで計算されて、ぶら下がる位置も決めた上で模型を作ってるんですけど、僕はね、それをちょっといじりすぎちゃってね(笑)。帽子を少し、合計10センチぐらい大きくしたの。

佐藤オオキ 最初は上から見たら正円となるような帽子だったんですけれども、それをちゃんとした帽子として、きちんと先生に監修していただきました。最終的な形としては、ちょっと楕円になっているでしょうか?

平田暁夫 そう、ちょっと楕円になってる。

佐藤オオキ 帽子のふちをちょっと立ち上げたり、ディティールも細かくチェックしていただきました。プレス工場まで一緒にいらしていただきましたね。

平田暁夫 帽子の角がちょっと立ったほうが、何となしに決まりがいいかなと思ったからね。やっぱり、ちょっと光の当たった時の影が強すぎるとか、深く出すぎるとか。それを乱反射するみたいにアールをつける。

佐藤オオキ 先生のご指示によるちょっとしたディティールの変化で、白い帽子がどんどんキレイになっていくのを目の当たりにしてビックリしましたね。試作を追うごとにどんどんキレイな帽子になっていって、やっぱり帽子自体がキレイだと、空間自体がやっぱりキレイになるなと。光の受け方とか、立体感がやっぱり全然違いました。そもそものコンセプトは「イキイキさせない」、先生の作品を際立たせるために、抜け殻のような、魂の入ってない帽子をたくさん周囲に配置するということではあったんですけど(笑)

平田暁夫 そうなんだよ、僕がいけないんだよ(笑)。要するにユニフォームの帽子の中に作品が入るみたいな、そんな感じを狙っておられたんですよね。それはもう十分わかってたんだけど…



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― 帽子となると、やはり気になってしまったわけですね。

佐藤オオキ 最終的にはそれで良かったなと思ってます。抜け殻とはいえ、ちゃんとした魅力的な帽子に囲まれて、よりいっそう先生の作品が引き立ったのではないかと思います。

平田暁夫 帽子一個ずつが主張して、動きも全部、それぞれみんな個性を持っていて、その中に僕の作品がポイントであるから、余計際立ったような気がするね。



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© MASAYA YOSHIMURA / COPIST
― あの大量の白い帽子は、スマッシュという新素材を使われたそうですね。

平田暁夫 僕は全然その素材を知らなかったんだけど、彼が使った経験があると言うので、興味を持ちました。

佐藤オオキ スマッシュという素材は、加熱成型プレス加工ができる不織布、僕は2009年の「SENSEWARE」という展覧会で、この素材を使った作品を展示したことがありました。カチッとしたものを量産するのに適した素材で、なおかつ軽くてよいなと。また、微妙なムラが出たりすると光にもいい影響を与えるということで、平田先生に「こんな素材どうでしょうか」と提案させていただきました。先生の作品は自然の素材なども上手に活かしながらつくっていらっしゃるので、逆に人工の最先端の化学繊維を使ったら、そこに生まれるギャップもひょっとしたらおもしろいのかなとも思ったんです。

平田暁夫 僕は、素材が成形できるということに興味を持ってね。

佐藤オオキ その場でドライヤーで熱を与えて、ちょっと癖をつけてみたりされてましたよね。

平田暁夫 スマッシュはいわゆる織物とは違うから、プレスすると、必ず厚い・薄いが出るんですよ。プレスした実物のを見るとわかると思うんですけど、ずーっと伸びてくるツバの部分がだんだん薄く弱くなってくる。ちょっとした加減でね、ムラになってくるんです。だから、何千個も作る場合、“おしゃかさん”になるもの―工場で不良品のことは“おしゃかさん”って言うんですけど―“おしゃかさん”もだいぶできるんじゃないかなと僕は思った。

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佐藤オオキ 工場で一緒に打ち合わせをされていた時に、平田先生は僕よりもその辺りのことをかなりイメージされていて、「ここはやせそうだ」、「ここは皺が寄りそうだ」と、最初から細かくアドバイスいただけたので、型から抜きやすい帽子の形を的確に指示していただきました。工場側も、おもしろがって意欲的に取り組んでいただいたと思います。最終的には帽子の角は残した状態で納品していただき、スタッフ総出でひとつずつカッターで仕上げました。

平田暁夫 それと白い帽子をテグスで上から釣るために、頭の上に穴を開けるわけなんだけど、これも手作業で、どうしてもちょっとずつ前後の高低差が生まれてしまう。これが僕は結果的によかったなと思うんですよ。

佐藤オオキ 型をつくって穴を開ける位置をきちんと決めていても、誤差が生まれるものなんですよね。その誤差が微妙な雰囲気を生み出す。テグスも1本1本計算して長さが違うものをちゃんと付けていくんですが、実際にそうしてみると、ちょっとたわんだり、いろんなことが現場で起きる。でも、それもあえてなくさないほうがおもしろいかなと、そういう、いろんなものを受け入れながら作り上げてきたので、何か自然に近いような、雲のような存在感が出たように感じます。



― 会場全体を雲がゆらゆらと浮かんでいるような、ちょっと夢心地になるような空間が広がっていましたね。

平田暁夫 光によって、見る位置によって、壁に映る影、すべてのものが全部アートになっちゃうんです。あれは見事でしたね。会場も、昼と夜では全然違う印象になった。

佐藤オオキ 先生の作品一つひとつがシルエットもサイズも色も、もちろん影も全然違うので、それを見てるだけでもすごく楽しい空間になったんじゃないかなと思います。平田先生の帽子はどの角度から見てもいろんな表情を見せてくれてキレイなので、来場者の人に移動してもらいながら、いろんな角度から帽子を見てもらって、帽子の新しい魅力を引き出そうと考えていったんです。それからスパイラルガーデンの奥にはスロープがあって、このスロープを活かそうと。雲の下から上に向かって歩きながら帽子を眺めたり、上から下りてくる時は雲の下に潜り込んでいく感じだったり、雲の隙間に帽子が浮いていて、それを探すような楽しみだったり…いろんな変化が生まれたのかなと感じます。

平田暁夫 僕はあの天井の高い難しい会場をね、下からも上からもやるんだな、この人はすごいことをやるなと思いましたよ。普通はね、見上げるだけの空間構成で終わり。それを見下ろすというのは感激したなぁ。

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© MASAYA YOSHIMURA / COPIST

佐藤オオキ 鑑賞者も作品の一部になりましたね。スロープの上から見ると、下を人が歩いてるのが見える。普通は鑑賞者が作品の前に立つと邪魔だということになるんですけど、今回は鑑賞者も含めての作品、すべてを受け入れてしまうような感覚でしたね(笑)。

平田暁夫 そうそうそう。帽子が宙に浮いているから、いつも誰かが帽子を被ってるように見えたりね。子どもがピョンピョン跳ねたり、みなさん自由に歩きまわってくださった。

佐藤オオキ 皆さん自由に歩きまわって、「あそこにもある!」と発見していくように鑑賞してくださって、空間も楽しみながら帽子一つひとつをすごく丁寧に見ていただくことができました。



― 展覧会の準備期間に大震災が起きました。その影響はあったのでしょうか?

平田暁夫 ちょうど新作をたくさんつくろうとしていたときに、震災がドカンと来て、ちょっとしばらくエンジンがかからなかったですね。帽子の展覧会なんか、そんなものをやるなんて、ひんしゅくを買うんじゃないかと思いましたし、もっと大事なことがあるんじゃないかと思ったりしてね。いろんなデザイナーが3月から4月にかけてファッションショーをどんどんやめちゃいましたしね。



― 確かに一時期、そのような状況が続きました。

平田暁夫 でも、そうやってみんなやらないなら「これはかえってやめる必要ない」と思うようになったの。やっぱりね、みんなそれぞれに頑張るのがいいんだと。今まで自分がやってきた帽子文化について、今見てもらう意味はあるんじゃないかと思ったんです。ニュースで被災地を見ればね、みなさんけっこう帽子をかぶってるんですよ。帽子はオシャレのためだけに被るものじゃないんです。やっぱり必要不可欠な、寒い時には防寒帽、暑い時には日よけとして、どこかへ出かける時にはちょっとオシャレをするための帽子として、文化としてちゃんとある。まだまだ帽子には夢がある、みんなおもしろい帽子をたくさん被ることができるんだよっていうことを、やっぱり展覧会で表現してみようかなと。そう思ってから、たくさん新作をつくりましたよ。かえってエンジンがかかってね(笑)。

佐藤オオキ かなり短時間ですごい量の作品をつくられて、びっくりしました。



― 展覧会を拝見して、久しぶりに心がウキウキするような空間を楽しんだのをよく覚えています。暗いニュースが多い中、こういった体験はとても貴重に感じました。

平田暁夫 やっぱり物事はもっと長い目で見なくちゃね。たとえば、日本人が帽子を取り入れたのは洋服よりも早いんですよ。最初は着物の上へ被ったんです。だって、当時は洋服が高かったから。明治の人たちは、「帽子っていうものはなかなかいいもんじゃないか」と思えば、文化の先取りとして素直に取り入れたんですね。今から考えると、明治の人たちはやっぱりちゃんとしたものを残してきた。海外で習得した建築家の技術も、西洋の医学を習得したお医者さんも、日本にちゃんと残してくれたじゃないですか。そして戦後、日本がどん底の物のない時代に、みんなで一生懸命働いて今日の繁栄を築いたわけですけどね。日本人はそれに奢りすぎたのかなと思いますよ。戦中は都市を爆弾でやられたの。最後に残ったのは地方の農園だけ。今回の原発事故では、逆に農地が使えなくなった。汚染でやられてしまったところは使わないほうがいいよね。でも、他の残っているところから、農業ひとつでまた始めてもいいかもしれない、東北地方を特別な日本の国、東北・夢の国のようにしたらいいんじゃないかとかね、いろいろ考えますよ。今回の取材とは関係ないことかもしれないけど、でも大事なことだと思うから。もう一回日本人を見直して、日本の未来に文化をちゃんと残していきたいという思いはあります。



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― 平田先生は戦後の物のない時代に、パリで帽子の最高技術「オートモード」を習得されて、ずっと第一線でご活躍されてきました。これからのデザイナーは、どうあるべきだとお考えになりますか?

平田暁夫 僕らの時代は一生懸命、向こうのものを真似してきた。帽子は日本のものではないからね、やっぱりそれは学ぶより仕方ない。でも、佐藤さんのような若いデザイナーの方々は逆なんじゃないですか。要するに、日本のデザインがもっと売れるような形になっていくんじゃないかと思う。本物は本物でね、海外の方も認めてくれると思うんですよ。僕はずっと悔しい思いをしてきたのは、ファッションほどブランド物にみんな弱いということ。自分には何が必要かどうかでなしに、ついブランド名にひかれてしまう。どういうものが自分に必要か、自分自身がわかってなくちゃ。と言っても、どれだけ一生懸命作っても、やっぱり売れなかったらしょうがないんだけどね。



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― 平田先生はずっと第一線で戦ってきたわけですよね。佐藤さんはどう思われますか?

佐藤オオキ 今回のプロジェクトで、自分は何かきっかけがつかめたなという気がしています。企画の途中で大震災があって「デザインなんか、こんな時にふさわしくない」というような意見もあれば、「こういう時だからこそデザインは必要なんじゃないか」とか、いろんな考え方があった中で、自分も結論としてはよくわからなくて… 実は考えてもわからないことはあまり考えない性格だったりするので、身を任せようと思っていました。この展示会に関しても、先生が「やる」ということであれば、どこまでもついていくし、たとえ誰かに批判されたとしても別にいいと思ってたんです。でも、結果的にやってみて、来場者の皆さんの表情を見ていると「ああ、これをやってよかったな」というしっかりとした手応えを感じることができました。すごく漠然としてますが、ものづくりの形としても、さっきの話に出てきた、人工的なものと自然なもの、新しいものと古いもの、洗練されたものと人の手によって作られているものがあって、そういうものを柔らかく融合していく、皆さんを巻き込んでいくような柔らかさを持つ懐の深いデザインというのは、今後のキーワードになるのかなと。その物自体じゃなく、周囲にある余白であったり間というようなものが、これから重要になってくる。それは日本的な感性、日本人ならではの世界観ではあると思うので、そういった価値観を世界に対しても発信していけたら、先ほど先生がおっしゃっていたようなことにすごく近くなってくる気がします。

平田暁夫 うん、うん。

佐藤オオキ それから「こうあるべき」みたいなことを考えすぎるとうまくいかないんだろうなと思いましたね。そういうことをすごく先生からも教わりました。自由であるということ。当たり前のことかもしれないんですけど、もの作りの要なのかなと思いますね。1点を目指してひたすら追求していくのではなくて、ものづくりの過程の中でいろんな選択肢が生まれてくるので、その分岐点ひとつひとつを大切にしていく。多分そういうことを自然とやっていらっしゃるのが、平田先生なのかなと思いました。

平田暁夫 僕はね、よく聞かれるんです。14歳の頃からずっと帽子作りにたずさわってきたのは何ですか?と。ひと言で言うと、「愛」。今回の展覧会を観に来てくれた方々がものすごく心さわやかに、いい気持ちになった、幸せな気持ちになったって、みんな言ってくれました。愛情というものはね、みんなそれぞれ伝わるんじゃないかと思うんですよ。