−2006年、田川欣哉さんと畑中元秀さんによってタクラム・デザイン・エンジニアリングは誕生しました。そのきっかけから教えていただけますか。
田川
僕は学生時代に、ある大きな日本の電機メーカーでインターンとして働いていたことがあるんですが、以前から「将来はデザインもエンジニアリングも両方やってみたい」と思い描いていました。ところがある日、会社の人事部の方に「両方できるポジションはあるんですか」と尋ねたところ「悪いこと言わないからエンジニアになっておきなさい。君は工学部だしね」と言われたんですよ。僕にはその「どちらかを選ぶ」というのがしっくり来なくて。それで大学を卒業後、1年間イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートに留学をした後に、プロダクトデザイナーの山中俊治さんが代表を務めるリーディング・エッジ・デザインに参加することになりました。山中さんの家に数年下宿させていただいたこともあるんですよ(笑)。ある意味、弟子入りしたような感じでしたね。
−今どきめずらしい師弟関係。一方、田川さんと畑中さんとの最初の接点は?
畑中
僕らは東大工学部の同級生だったのですが、大学にいた頃は、お互いに顔見知りというレベル。大学卒業後、僕はもともと研究者になるべく東大の大学院まで進んだのですが、
何となく自分の居場所ではないような気がして… その半年後にスタンフォード大学に進学をしました。そのスタンフォードに在籍していた頃にひょんなことから田川と再会を果たしたんです。ひょんなことと言うのは… 僕が仲介役として、スタンフォードのデザインコースの学生の日本でのインターン受け入れ先を探すことがありまして… 「そういえば大学の同級生でデザイン指向のヤツがいたな」と田川のことを思い出したんですね。
田川
ちょうどその頃、僕はリーディング・エッジ・デザインに勤めていたので、実際に学生をふたりインターンとして受け入れることになりました。当時、畑中はシリコンバレーの中心地であるサンノゼ周辺の事情―その中でも特にベンチャーなどの製品開発メソッドについて詳しくて。電話で話しているだけで、非常に盛り上がったんです(笑)。それで僕がアメリカまで会いに行きまして。ちょうど2004年頃の話ですね。
畑中
スタンフォードは非常に面白いところで、実践的な授業が盛んでした。たとえば、工学部の学生とビジネススクールの学生がチームになって、与えられたテーマを元に商品開発からマーケットリサーチ、プロトタイプの制作、実際の販売シミュレーションまでを行うようなプロジェクトベースの授業をたくさんやっていました。僕はなにせ欲張りなので、そういう横断的なプロジェクトがすごく楽しくて。今のようにデザイナーとエンジニアの二股をかけたような仕事をしているのも、その延長線上ではないかと思っています。
−それがまさにタクラムが掲げる「デザインエンジニアリング」というキーワードにつながっているわけですね。
田川
そうですね。今の時代、どんな分野においても、横断的なことがやりやすくなってきていると思うんです。たとえば、岩井俊二さんが脚本を書いて映像を撮って自分で編集まで手がけるといったことも、ソフトウェアの進化によって可能になったわけですし、アニメーションで言うと、ほとんどの作業をひとりで行う新海誠さんとか… 音楽の分野でもそうですよね。全楽器を自分で演奏してトラックダウンまでやってしまう人がいる。近々の話で言えば、iPhoneアプリの開発環境も、個人がぱぱっと作っても、それなりにちゃんとしたものができちゃう。それはコンピュータやソフトウェアオープンソースの話まで含まれていることだと思うのですが―その進化によって、自分で「何かを作りたい」と思っている人たちは、少し時間がかかったとしても、それなりのものが何となくできてしまう時代になったんだと思います。僕たちのようにデザイン関係の仕事をしている人でなくても、そういう時代の流れは感じられるのではないでしょうか。