伝説の漫画家が残した余韻が、今ガーリーに甦る! 岡田史子インタビュー
手塚治虫に評価され、萩尾望都をして「天才」といわしめた幻の漫画家・岡田史子。その詩的で繊細な作品の魅力は、多くの「マンガ読み」たちによってカルト的に語り継がれてきた。その伝説が今、なんともガーリーな体裁の『オデッセイ1966〜2003 岡田史子作品集』として甦る!岡田作品に多くの読者が魅了されたのは、なにが欲しいのかわからないまま、必至でなにかを探し求めるような、誰にも上手く説明できない感情が危ういほど繊細に描かれていたからだろう。そしてそういった心の隙間を埋めてくれる作品を、いつの時代も私たちは求めている。
ODESSEY 岡田史子 おかだふみこ 
1949(昭和24)年、北海道・静内町に生まれる。高校在学中の67年、「火の鳥」も連載された手塚治虫主宰の月刊漫画雑誌『COM』に「太陽と骸骨のような少年」を発表し、デビュー。翌68年、「ガラス玉」で、『COM』新人賞を受賞。以降、同誌を中心に、作品の発表を続ける。72年頃、静内に戻り、一時、漫画と無縁の生活を送っていた。78年『少女コミック増刊』に「ダンス・パーティ」を発表し、漫画雑誌に再帰。90年に発表した「エリム」以来、執筆活動を断念している。現在は埼玉県在住。

『ODESSEY 1966-2003 岡田史子作品集 episode1 ガラス玉』(飛鳥新社)
未発表作品、初公開カット、作品解説、自伝的エッセイ、高野文子氏による序文などを収録。6月17日に「episode 1 ガラス玉」、7月17日に「episode 2 ピグマリオン」の発売が予定されている。多くの少女漫画家に多大なる影響をあたえ、ファンであることを公言する作家・評論家も多かったが、作品集は長らく入手困難だった。往年のファンだけでなく、ポップな表紙の本作は新たな若い読者も熱狂させていくことだろう。
飛鳥新社

"なぜ生きるか"誰かに教えて欲しくて

子供の頃から童話や文学、詩を愛し、「余韻が残って、何度でも読み返したくなるものを描きたかった」という岡田さん。痛々しいまでに素直に語られる、作品誕生の裏側には……。

「ガラス玉」より
「ガラス玉」より。著者の"分身"だという少年は、なくしたガラス玉を求めて、どこかにある国へと旅立っていく。
(C)岡田史子/『岡田史子作品集 ODESSEY episode1 ガラス玉』飛鳥新社より
 そうですねぇ、漫画を描いていた60年代後半のことや、漫画を描き始めたきっかけについて話せば長いんですけれども(笑)。わたしは12歳の時に母を亡くしているんです。そのときから「人間はいつか死ぬのに、どうして生きていかなくちゃならないんだろう」という疑問に取り憑かれて、それを漫画にぶつけて、読者に問いかけていたというかね。とにかく誰かに教えてもらいたかったんですよ。
 好きな漫画家は、手塚治虫さんでしょ、ちばてつやさんも好きだったし、それから、石ノ森章太郎さんも。水野英子先生とか、渡辺まさこ先生、もっと小さい頃は、牧美也子さんの漫画が好きでよく読んでましたね。影響されたのは手塚先生かな? 初期の作品を見ればわかると思います。レイモン・ペイネの影響もありますね。
 それと、高校の先生に「お前の絵にそっくりな絵を描く画家がいるよ」と教えられて、ムンク画集を見て、だんだん興味を持っていって・・・・・・。ムンクも同じように母親を亡くしたから共感した、ということはないです。ムンクの生涯について知ったのはだいぶ後のことでね。でもいつも喪失感はあったかもしれない。母を失ったことに対する喪失感でしょうね。そこから作品が生まれていったという感じです。

 本を読むことは、影響を受けたというより、栄養になったと思います。外国の童話を読んで育ったので、ヨーロッパには憧れがありました。子供の頃は、シンデレラも、人魚姫も、白雪姫も好きだったし。でも、自分で書くときは、ハッピーエンドは好きじゃないんです。余韻が残らないでしょ? 読み終わってすぐ忘れちゃうというかね。だから余韻が残って、何度でも読み返したくなるものを描きたいって思っていたんですよね。
 特に思い入れがあるのは、「ガラス玉」(注1)です。ガラス玉をなくして新たに求めていく少年の行動に、私の気持ち、すごくこもってるんですよ。私ってねぇ、昔からないものねだりするクセがあってね、いつも目の前にないものばかりを捜し求めるんですよ。だからその少年は私ですね。

注1) episode1に収録。両親からもらった大切な"ガラス玉"をなくした少年の物語。ガラス玉とは、少年が人間らしく生きていくために必要ななにかであり、新しいガラス玉を作るために彼は「アトラクシア」と呼ばれる国へ旅立ってしまう。
伝説の漫画家が残した余韻が、今ガーリーに甦る!
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