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人間の能力に個人差などない
――最近仕事をしないニートという層が拡大し社会問題となっていますが、これに関してはどう思われますか?
ニートに関しては、私は彼らの問題だとは思っていなくて、偏差値教育と社会が悪いと考えています。さきほどお話したように、人間は本来褒められたい生き物。50点を取っても、「試験ではこうだけれど、君はこういうところが素晴らしい」といってくれる先生に巡り合えばニートには絶対ならないんです。親も「よくやった。この間50点だったけど、65点を取った」と褒めてあげないといけない。偏差値でおまえはこの程度のレベルの人間だと決め付けるなんて、毎日「あほ」と言われているのと一緒。そんなことをされたら本当にあほになるよ。学校の成績が悪くても向こう気の強い人はちゃんとやっていくけれど、圧倒的多数は、やっぱり精神的にそんなに強くないわけです。
――それに立ち向かうにはどうしたらいいんでしょうね。
結局、読書を重ねていくか、先天的に気が強くて負けず嫌いか、どちらかでないと立ち向かっていくということはできないでしょう。
エキサイトをご覧になっている若い読者の方に言いたいのは、あなたたちは皆ほとんど同じ能力ですよ、ということ。これまで何万人という若者を見てきましたが能力的には差はありませんでした。褒められた人は、とっとことっとこ、木に登っていく。DNA自体が飛びぬけて優れているなんていうのはイチローとか貴乃花とか限られた人ですよ。
能力が開花するまで、すなわちDNAのランプがつくかどうかは、継続した努力次第なんです。それは明日つくかもしれないし、1年後かもしれないし、10年後かもしれない。ところがほとんどの人は途中で「やっぱり駄目だ」と諦めてしまう。明日つくかもしれないのに。
ニートを含め、今、自分が他人に比べて何か遅れていると思っている人には、とにかくあきらめるなと言いたい。あした君のDNAにはランプがつくかもしれないんだよ、と。能力というのは徐々に開花するのではなくて、ある日どんとジャンプするもんなんです。あきらめてしまったら、ランプは永遠につかない。
定年までつかなかったらどうするんですか、という質問をされることもあるけど、それでいいじゃないですか。定年まで努力したというのは素晴らしいことです。ランプがつかなくたってついたのと一緒。その努力は必ずどこかで生きてくる。定年が終わりではなくて、その後もあるんだし、どこでランプがつくかは本当に分からないんです。
――働く意味については大体わかりました。では、さらに突っ込んで、サラリーマンとして働くことの意味についても聞かせてください。今の20代の人と話すと、サラリーマンで立身していくというよりも、小さい会社を起業することを目指す人のほうが多い気がするんです。サラリーマンというのは何を求めて、何をゴールにして働くべきなんでしょうか。
ベンチャー企業で一匹狼でやるぞという人はそれでもいいと思うし、ベンチャーとサラリーマンのどちらかに優劣は付けられない。自分がいいと思うことをやったらいいと思います。
サラリーマンであるがゆえの良さとは、仲間がたくさんいて、それが自分の人生を豊かにしてくれること。仕事を辞めた後でも先輩後輩がいて、おそらく死ぬまで自分と一緒に働いた仲間とつきあっていくと思うんです。ベンチャーで一匹狼でやる人は、そういう財産がひょっとしたら少ない可能性があるし、ほとんどないかもしれない。大勢の仲間と一緒にチームを組んで一つのことをやり遂げていく、というのが企業のサラリーマンの財産でしょうね。
――僕は伊藤忠グループの一員として5年ぐらい丹羽さんのお仕事ぶりを拝見しているのですが、社長車はいらない、給料を返上するなどストイックといいますか本当に無欲ですよね。なぜ、そのようなことができるんですか?
私は無欲じゃないよ(笑)。
――欲があるようには全然見えないですけどね(笑)。
欲望のポイントが違うだけですね。金に対する欲望というの私は少ない。金なんてどこかへ行ったら必ずあるし、借金したっていいんだし、昔はいざとなれば、おふくろに手を出したらちゃんとくれたし(笑)。私はたくさん友達がいるからいざとなれば食べさせてくれるし、今日泊めてよと言えば誰か泊めてくれる。なんとかなるだろうと思っているんです。
今は給料は全部ワイフに丸投げで一体貯金がいくらあるのかも知らないし、ひょっとしたら私の知らないうちに全部ワイフのものになってしまっているかもしれない(笑)。でも別にいい。そういう欲はあまりないんです。
私が欲があるのは、時間ですね。本を読む時間やゴルフをやる時間が欲しい。時には、おいしい酒が飲みたい。そういう欲望はちゃんとあるんですよ。 |
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