 |
 |
“校庭を眺めつつ、手を挙げる”みたいな書き方
――わーっと感情的に盛り上がるのは、お好きじゃない?
そうですね。クライマックスに対しての違和感があるんです。僕は、たぶん僕の友人たちも、“ああ、ここで盛り上がらせようとしてるな”と分かると、冷めちゃうんですよ。だんだん年をとってきたので、ベタな盛り上がりで泣いてしまったりするんですけど(笑)、でも、クライマックスは、はずしていきたい思いがあるんですね。“あ、これで終わり?”とか、“こんなに敵があっさり死んじゃうの?”とか、心地よい肩すかし感っていうのがすごく好きなんですよ。
――お友だちもということは、世代的な問題なんでしょうか。今の30代の人には、熱くなるのが苦手という雰囲気があるような気がするんです。
少なくとも僕が学校に通っていた頃というのは、教室で「ハイ先生、ハイ先生!」って手を挙げる子はあんまり好かれないし、恰好いいと思われないじゃないですか。授業を聞かないで、窓から校庭を眺めているほうが恰好いい、みたいな雰囲気があって。でも僕は正直、「ハイ先生!」って手を挙げることも大事なんじゃないかと最近は思っているんです。ただそれをそのまま書きたくはないんですよ。そこは工夫して、“校庭を眺めつつ、手を挙げる”という(笑)、書き方をいつも考えて。
――“校庭を眺めつつ、手を挙げたい”人は多いかもしれませんね。安藤の友人・島の〈この道をあと何年進もうと、恰好いい大人には辿り着かない気がするんだ〉というセリフにも共感をおぼえます。
すごく好きなシーンなんですけどね。あの場面は僕自身も切ないんですよ。“もっと恰好いい大人になるはずだったのに”みたいな思いは誰もが持っている気がして、島くんに言ってもらった感じです。ただ、やっぱりそれを自分で認めるのはつらいじゃないですか。だから、言ってしまう島くんが、僕は好きです。
――格好いい大人というと、どんなイメージですか?
うーん……自慢しない大人でしょうか。それと同時に、他人のことを馬鹿にしない人。それから、僕自身がなりたくてなれていないという意味でいうと、自分に自信を持っている人。これって、自信家とは微妙にちがうんですが。
――どうちがうんですか?
難しいですよねえ。どうなんでしょう。ただ、最近思い出すたびに泣いてしまうのが三谷幸喜さんの舞台を映画化した、「笑の大学」の1シーンなんです。稲垣吾郎さんが喜劇作家の役で、明日までに全部台本を書き直さなきゃいけないという状況になりますが、絶対間に合いそうもないのに、「でも僕は絶対できるはずなんだ。なぜなら今までもできたんだから」とか、確か、言うんですよ。なぜか、映画を観た時は、何も思わなかったのに、後で思い出すとその台詞に感動して。きっと、そんなふうに今まで積み重ねてきた努力とか経験をもとに、自分を信じようとしている人に憧れるんでしょうね。そういう人はやってできなかったときに、逃げないで周りのせいにしないで、自分で責任を取るんじゃないでしょうか。だから、最近は、僕自身いっぱいいっぱいでアイデアがひらめかなかったり、時間がなくて焦ったりすると、“でも、きっとできるはずだ。今までも、できたじゃないか”って自分に言い聞かせています(笑)。自分を信じて行動する、という意味では、安藤くんや犬養さんは、けっこう恰好いい大人だと思うんですが。
――『魔王』は、恰好いい大人の物語とも言えそうです。ラストはちょっと苦い部分もありますが……。
確かにラストはあまり幸福な感じではないですね。ただそこに注目されて、悲劇的だとか、泣ける話であるとか(笑)、そんなふうには思われたくないんですよ。ラストの“結果”に主眼はないので、そのことでこの小説に対する評価を決めないでください、という気持ちはあります。そこは併せて収録されている続編の『呼吸』も読んでいただければ、わかってもらえると思うのですが。
|
 |
 |
| 伊坂幸太郎インタビュー “恰好悪いけど恰好いい”という感じのものが好きなんです |
 |
2/2 |
|
|
 |
|
|