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最終回放映直前特集! 極私的謎解き『冬のソナタ』

『冬ソナ』ヒットの理由(1)少女マンガの刷り込み

『冬ソナ』のテーマは「初恋」。脚本家ユン・ウンギョンとキム・ウニの二人が考えたドラマのコピーは「・・・・・・けれど、初恋が再び私を呼んだら、どうすればいいの?」。これはドラマ中にも登場した詩の一節。結論から言うと、この「初恋の人との再会」という設定こそ、こんなにも『冬ソナ』に日本中の中高年女性が萌えた理由だ。

『冬ソナ』のペ・ヨンジュンを見て感じたのは、「岩館真理子先生のマンガに出てくる男の人みたい!」ということだった。眼鏡をかけていない学生服のチュンサンしかり、眼鏡のミニョンさんしかり。『冬ソナ』は、少女マンガ的な要素が極めて強い。『冬ソナ』DVDに収録されたインタビューでユン・ソクホ監督も、ペ・ヨンジュンの魅力を「少女漫画に出てくる理想の王子様みたいな雰囲気がある」と言っている。脚本家たちも、韓国でもヒットした『キャンディ・キャンディ』に、少なからず影響を受けていると語っている。『キャンディ・キャンディ』といえば、私などはまさに小学生の頃、マンガとテレビアニメのダブルでどっぷりハマッた世代(数年前、いがらしゆみこ先生にインタビューさせていただいた際、改めて読み返して号泣しながら、自分がどれだけ『キャンディ・キャンディ』に影響を受けていたかを痛感した)。漫画の世界にしか生息しないと思っていた「理想の男性」が、この3次元の空間に、生身の肉体を持って存在していることの驚きと感動。昔ハマッた少女漫画の実写版を、30年後の今、テレビで見られるなんて。これでハマらないわけがない。
文芸評論家の斎藤美奈子さんが、これについて明快に書いてらっしゃる。

「次々と来日する韓国男優の異常な人気ぶりを見て、ふと思った。もしかして、ここはマンガの国だったの?
 ペ・ヨンジュン、どこがいいんでしょう。『ヨン様』とかって『様』づけにすること自体、薄気味悪い。が、彼が私と同世代のオバサマ方に人気があるのはわからないでもない。ペって昔の少女マンガに出てくる男のコそのものなんですよね。顔も表情もファッションも脚の長さも。たとえばそうだな、陸奥A子あたり。あんな男は七〇年代のマンガの中にしか存在しないと思っていたのに、あら、ここにいたじゃないの、長生きはするものねえ・・・・・・とか、そんな感じ?」
(「婦人公論」2004年7月22日号 「朝鮮半島に住むマンガ的な2人」)

そうそう、そんな感じ!! 「生きててよかったー!」ですよ。ヨン様の出現は、まさに「初恋の男性との再会」。少女の頃にマンガの世界で出会った初恋の男性に、オバサンになってテレビの中でふたたび巡り合ったわけで。こうして『冬ソナ』における「初恋の男性と再会」という設定は、ある年齢層以上の日本人女性にとって、単なるドラマの枠を越え、自分の人生に起こったことになってしまった。自分とユジン(チェ・ジウ)の区別がつかない状態(ずうずうしい!)。そりゃ『冬ソナ』にハマって旦那の面倒を見なくなり離婚に至るという、『冬ソナ』離婚だってしますとも。 さらに斎藤さんは、「南のヨン様」に対して「北の将軍様」(金正日)を忘れない。ヨン様が少女マンガの理想の王子様キャラなら、将軍様は、少年マンガの典型的な悪者キャラ。

「少年少女時代の刷り込まれた物語の記憶で、私たちは世界を見る癖がついてる気がしてしょうがないのだ。(略)まー、ペとの擬似恋愛くらいならいいですよ。だけど現実の日朝交渉を少年マンガのセンスで考えるのはどうか。(略)物語みたいな展開を期待しちゃだめなんですよ。恋愛も国際関係も」

おっしゃる通り。現実とフィクションを混同するのは危険です。でも、フィクションはフィクションだとわかったうえで、「現実の恋愛もやってみたけど、でも、マンガのほうがもっといいわぁー」ってのもアリだと思うんです。だって楽しいんだもん!

先日、翻訳家の柴田元幸さんにインタビューさせていただいた際(コチラ)、アメリカと日本の女性作家による文学の違い、そのベースとなる文化の違いについて、次のような興味深い話を聞いた。柴田先生のお話を聞きながら、そっかー、『冬ソナ』ブームは日本で起こるべくして起こったんだなぁ、と思った。

「アメリカの現代女性作家による基本的なメッセージは、『男はわかってくれない』。『わかってくれない阿呆な男』と、『わかってもらえない繊細な私』っていう図式がある。これが日本だと、『男はわかってくれる』なんですよ。よしもとばななにしても、ものわかりのいいお兄さんが出てきて、そのお兄さんがやさしく包んでくれることで、救われる気になれるというのがあって。島本理生などを読んでも、『ホントにこんなにいい男の人がいると思ってるのかな』って心配になったり。そういうのはアメリカだと禁じ手なんです。もちろん、どっちが正しいとか偉いとかいう話じゃないですけどね。もともと日本には少女漫画と宝塚がある。レベッカ・ブラウンが日本に来たとき、宝塚を見て『世界のどこにもこんなものはない。すごい』って驚いていた。宝塚の男役は、女性が扮装してるんだから、下半身の脅威がない。そういう宝塚、少女漫画、よしもとばななの『威嚇しない男』のラインって、日本独特かもしれないですね」

下半身の脅威のない、女性を守り、優しく包んでくれるお兄さんのような男性。それこそチュンサン/ミニョンだ。『冬ソナ』の中で、チュンサンがユジンに「キミを守ってあげられなくてごめん」という場面がある。愛する女性を守ってこそ男、というのが前提になっているセリフですね。このワールドにはフェミニズムなんて言葉は存在しません。そして、肉体的接触も「手をつなぐ」「おでこにキス」「抱き合う」「髪をなでる」、最大時で「フレンチ・キス」だ。海辺の初夜(とユジンが冗談っぽく言う。「新婚旅行」と訳されてますが、実際には「初夜」と言ってます。だからチュンサンもギクッとした顔をする)ですら、その時点で「血のつながった兄妹」だとチュンサンは思っているので、もちろんプラトニック。まさに、下半身の脅威のない、妹を守り、やさしく包んでくれる、いいお兄さんなんですよね。

昔は血縁のあるなしにかかわらず、「愛しい女性」のことを「妹(いも)」と呼んだ。妹背(いもせ。夫婦、愛し合う男女)は、妹(いも)と兄(せ)のこと。なんでもゲームや少年マンガの世界では「妹萌え」というジャンルが盛況だとか。日本限定ってわけでもないでしょうが、兄と妹の関係というのは、なかなか根が深そう。

ともあれ、日本の女性たちが潜在的にもっている兄妹願望にも、『冬ソナ』はピッタリだったのかもしれない(でも、男性たちの「妹萌え」と、女性たちの「兄萌え」は、接点がないかもしれないが・・・・・・)。ユン・ソクホ監督も、兄妹の設定が好きらしい。『秋の童話』でも、兄妹だから結婚できないという設定だった(血がつながってないんだから何の問題もないと思うが、兄妹として育った以上ダメ、という発想は、ちょっと日本人にはわかりにくい)。

ところが、かの渡辺淳一先生によれば、『冬ソナ』がダメなのは、セックスが描かれてないからだそーだ。

「男たちは、若者から年配のおじさんまで、この種の、甘いだけの恋物語は、生理的に苦手。そしてなによりももの足りないのは、セックスが描かれていないことである。(略)性の深い絆が生じてこそ、本当の純愛は成り立つのだが、そこまで描く自信がなかった、というわけか。こうして描かれているのは、いわゆるプラトニックラブだけ。そういうきれいごとで逃げているところが、ドラマを独りよがりで、底の浅いものにしていることは否めない」
(「週刊新潮」2004年8月12、19日号より)

さすが、あの『失楽園』の著者だけあります。ぜ〜んぜん、わかってませんね。断言しますが、『冬ソナ』が素晴らしいのは、生々しいセックスがないからです。女性が恋人に求めている愛情表現は、セックスじゃない。何が大事かっていうと、きちんと言葉で愛情を伝えくれることですね。ところが、いかんせん日本男児というのは、気持ちを言葉にしませんから、日本の女子は、恒常的に愛の言葉には飢えている。かといって、いきなりラテン系のノリで情熱的な愛の言葉をささやかれても、ウソ臭く聞こえるし、そんな男性はまず詐欺師だと警戒する。だからこそ「誠実」「真摯」の権化のようなヨン様のあの低くてソフトな声で「サランハムニダ(愛してます)」と言われると、ストレートな愛の告白でありながら外国語なので霞がかかったように幻想的という、ちょうどいい塩梅なんです。

ヨン様ファンの中年女性たちは、あの笑顔を見るたびにどんどん女性ホルモンが分泌されて、更年期障害だって軽くなっているに違いない。ヨン様ファンには60代、70代の高齢者も多いが、老人医療費の削減にも多大な貢献をしてるんじゃないでしょうか。
『冬のソナタ 完全版』1〜4(キム・ウニ/ユン・ウンギョン 根本理恵訳/ソニー・マガジンズ)
オリジナル・シナリオの邦訳なので、日本放映時にカットされた部分もこのシナリオで知ることができる。『冬ソナ』中毒ピークの頃、外出時はさすがにDVDを見られないので、このシナリオを携帯し、電車の中などですきあらば読んで『冬ソナ』ワールドに浸り、涙を流していました。

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