『負け犬の遠吠え』の独特なポジション
ここで勇気を振り絞っていってしまいますが、負け犬問題など、男の大半は(そして女の大多数も)、どうでもいいくだらない問題だと思っているのではないでしょうか。たとえば、石原里紗の『ふざけるな専業主婦』(新潮OH!文庫)を読んでも、専業主婦への怒りが、男の私にはまったくピンと来ません。しかし、著者が専業主婦を嫌いなことだけは、よーくわかりました。
| 専業主婦の「生活」が、家畜の「生活」に似ている、と私は思っているのです。
自分の食いぶちも自分で稼ぐことをせず、家事に必要以上に時間をかけて、家事を趣味として楽しんでいる専業主婦。……夫という名の飼い主に、さらにいいエサをもらおうと、彼らが出世することだけが生きがいになっている専業主婦。 |
こんなこと言われたら、専業主婦も黙っているわけがありません。本の過激なタイトルもあいまって、専業主婦論争は再び過熱していきます。
さて、さきほど『パラサイト・シングルの時代』では、同じ未婚女性でも、一人暮らしと親同居とでは人種が違うことが指摘されている、と書きました。同じように階層的な視点から未婚女性の結婚意識を分析したのが小倉千加子の『結婚の条件』(朝日新聞社)です。
本書のなかで、とくに注目すべきなのは、小倉が「新・専業主婦志向」と呼ぶ、“短大卒、四大中堅以下の大学卒”の女性のパーソナリティでしょう。これは、仕事でのやりがいや収入は無理、だったら高収入の男を見つけて、子育てが終わったら「自己実現」のためにちょっぴり仕事をしようという人たちのこと。虫がよすぎると思われるかもしれませんが、いまやこの層こそが、未婚女性の本流と小倉は診断しています。
斎藤美奈子が『モダンガール論』(文春文庫)で語っている時代診断も小倉とほぼ同じです。
そしてバブルの崩壊。女性総合職の挫折と、コマダムの台頭はその後の現象だ。髪ふり乱して働くキャリアウーマンと、暇そうなコマダム。出世スゴロクの上がりがそれ? たとえそれでもなれりゃいいけど、どっちにもなれないんだしさ、どうせ。
偏差値教育のなかで育ったいまの子たちは、自分がどの程度のものであるかをよーく知っている。夢も希望も捨てた九〇年代の女性が夢中になったのは、「癒し」と「自分探し」である。当然でしょう。こんだけ上をめざしてきて、もう上がないことは明々白々なんだから。 |
当然ですが、このご時世、「新・専業主婦志向」に都合のいい男など、そうそう見つかるはずがありません。『負け犬の遠吠え』で言われているように、「負け犬過多の時代」はもうそこまで来ています。
| その時、愛される負け犬とそうでない負け犬の差が、出てくることでしょう。どれほどの得を社会に、そして周囲の人に与えられるかによって、幸福度は異なるに違いない。負け犬社会にも、淘汰の波はやってくるのです。
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さて、こうやって読んでくると、『負け犬の遠吠え』の独特なポジションがおわかりいただけると思います。これまでの「未婚/専業主婦」をめぐる物言いは、どちらの立場にたつにせよ、「負けを認めましょう」というメッセージはタブーだったのです。だからこそ、著者の酒井順子は次のように言ったわけです。
| この勝負、どちらかが折れないと永遠に決着がつかないであろうし、それはあまり良いことではなのではないか……と考え、私共負け犬はこの度、負けを認めることにいたしました(そんなもの勝手に認めるな、という方もいらっしゃるとは思いますが、ご容赦下さい)。
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負けを認めてしまえば、つまらない対立は終わり、「勝ちだの負けだのということが、ほとほとどうでもいいことのように思えてくる」。『負け犬の遠吠え』は、長ーく不毛な冷戦終結の書として読まれなければなりません。
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