 |
 |
 |
| 右下に見えている青いのはドラえもんブックカバー。かんたん短歌blogで募集した「ドラえもん短歌」の優秀者に送られたオリジナル作品で、デザインも投稿者のひとり(本職の服飾デザイナー)が手掛けたそうだ。「かわいいでしょう。しおりはドラえもんのしっぽ、中はドラ焼きのモノグラムになってたりするんですよ」 |
 |
――この本では、枡野さんとともに、弟子の佐々木あららさんも大活躍で、ふたりの師弟対談(漫才)が笑えます!
枡野 『かんたん短歌の作り方』のときに「マスノ短歌教の教祖」っていうキャラを作ったんですけど、今回は、あららが「マスノ師」という呼び方を発明して、師匠と弟子のキャラにしたんです。さっきもお話ししたように、ブログで短歌の投稿作品を選ぶのは、思った以上に大変だったんですけど、佐々木あららみたいなキーパーソンが現れて、いろんなウェブの人と仲良しになったり、場の空気を作ってくれたりしたので、参加してくれた人たちによって、だんだん磁場が形成されていったんです。『かんたん短歌の作り方』は、漫画雑誌「キューティコミック」で連載してたんですけど、雑誌だと、そこまでは親密になりえないじゃないですか。でも、ウェブだと、投稿してる人同士もアッという間に親密になっていって、僕の知らない間に、僕抜きでオフ会をやったりしていて。
――あららさんに注目したのは?
枡野 あららは、ふつうの短歌を投稿するようなタイプとは、ちょっと違うキャラだったんですよ。短歌を作る人ってマジメだから、あららみたいに、「それなりに心苦しい 君からの電話をとらず変える体位は」とか、性的なことを冗談めかして歌ったりしないんです。彼女がいるのに、ほかの女性としてしまってる不誠実な男、それをあっけらかんと歌ってしまうようなキャラが、短歌の世界ではふつう存在しえないんですね。本当はいたのかもしれないけど、歓迎されない。林あまりさんでさえ、わりとまじめに性的なことを歌っているのに、それでも拒否反応があったりするくらいだから、マジメなんですよ、詩歌の世界は。後で聞いたら、あららって本名は公家みたいな名前で。メガネが青くって、すごくうさんくさいんだけど、でも、話してみると業の深い、頭のいい人なんですよ。業が深いのはポイントですね。詳しくは言えませんが、学歴とか、現在の仕事とか、業が深いんです。
(ここで佐々木あららさん、登場)。
 |
 |
 |
| 枡野さんの愛弟子にして本書のゴーストライター、佐々木あららさん。あららは「アララギ派」に由来するらしい?? |
 |
あらら 遅くなってすいませ〜ん。
――ちょうど、今、あららさんの話をしてたんですよ。
枡野 なんで、あららはモテるのかなぁ。顔がいいわけでもないじゃん。
あらら モテてないですよ。
枡野 モテる人にかぎって、「モテないですよ」って言うんだよねー。やだやだ。
――あららさんが「枡野浩一のかんたん短歌blog」に投稿し始めたきっかけは?
あらら 最初は、誰かのブログで枡野さんが短歌のブログを始めたっていうのを読んだんです。ちょうど1回目の講評が出たところで面白そうだと思ったのと、自分のブログ「ちょっと恐ろしいタコのしめかた」に、他のブログのことを書いて、あわよくばアクセス数を増やそうみたいなことを考えていた時期だったので、そういうスケベ心で投稿を始めました。
――枡野さんのことは、以前から知ってたんですか?
あらら 「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載していた「石川くん」を見て、漠然と名前を覚えていた程度で、とくに興味も関心もなかったんです。
枡野 そう・・・・・・あららは僕のファンじゃないのっ。
あらら 今はファンですよ! 今は断然ファンです! 枡野さんの著書を買って読み始めたら面白くてどんどんハマって、「俺もこういうことがやりたかったんだ!」って思ったんです。
枡野 下手なお世辞はそれくらいにしたまえ!
あらら お世辞じゃないですよ(笑)。
枡野 ブログを始めた最初の頃、著作権のことでもめたりしたじゃない。あ、ブログを始めたときに、「投稿作の著作権は枡野に帰属します」とかって書いたら、それはおかしい、みたいなトラックバックがたくさんきて、それに対して、僕がすごくきっちりと返事を書いて、反論をしていったら、みんな納得してくれたんですけど、ああいうのを、あららは、どう見守っていたの?
あらら 枡野さんは、ちゃんと本にするつもりがあるんだなと思ったのと、通常、投稿作品の著作権は主催者に帰属するのが当たり前のことなので、騒ぎになることのほうが不思議でした。
枡野 「この人、なんでこんなことにいちいち対応してるんだろ、バカじゃない」って思ってた?
あらら いや、誰に対しても何度でも同じことを繰り返して説明できる枡野さんって、すごいなって。
枡野 ブログをやってる人って賢い人たちだから、こちらがちゃんと説明すると、納得してくれたり、あやまってくれたりするんだよね。それがビックリした。著作権で文句をいう人に対して、切り捨てるのはかんたんだった。そんなキミたちの短歌は選びません、って言えばよかったんだけど、それじゃダメだと思った。文句を言ってる人も味方につけなきゃダメだ。文句言ってる人たちが、面白がって投稿するようにしようって、そのときは、情熱をもってやってました。
あとがきで書いたことは(下記参照)、ブログでみんなに一生懸命に説明しているうちに出てきた言葉だったの。そしたら、それを面白いって、あっちこっちでとりあげる人がいて、それで通じたんだっていうふうに感じたので、あとがきにも入れたんです。「通じた」ってわかる瞬間って、ネットだといろいろあるんですよね。活字だと、いつ読者に気持ちが通じたか、よくわからない。でも、ネットだと、僕が何か言った瞬間に、みんながわっと反応するっていうのがわかって、それがブログをやってよかったことなんですよ。
インターネットにあふれる「素人文章」の多くがつまらないのは、つっこみをされないことを第一の目的として書かれているからだ。・・・・・・それが、ここ数年の私の持論でした。
つっこみのできる短歌がいい短歌である! という新たな持論にたどりついたのも、 だから、ごく自然な流れだったのでしょう。 短歌に限らず文の芸は結局、 読者が少し補う、
その余白の部分のセンスで勝負しているのだと思います。 (「おわりに〜愛をあきらめて〜」より) |