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――マンガ家になろうと思ったきっかけは。
三宅 東京に出て短大に行って専門学校を出てそれから洋服のデザインをする会社に就職したんですけど、バブルが弾けたころに実家のある札幌に戻って洋服関係でTシャツのプリントの図案を描く仕事をやってたんですが、そちらもまた会社がつぶれちゃったんです。で、もう会社はつぶれちゃうからダメだなと思って一人で食っていく方法はないかなと考えて、マンガならいいかなと。それまでは全然漫画は描いてなくて、マンガ家になろうとも思ってなかったですね。
――最初は持ち込み?
三宅 投稿でした。雑誌も決めないで、締切が近い雑誌の中から選んで、毎月「ここに出そう」と決めては投稿してました。アレって入選とか佳作だと10万円くらいもらえるんですよね。それで小銭稼いで借金返したり。初めて投稿したから、マンガ家になったときのことを考えてて、「月に1本描くのがやっとだな」と思って月刊誌に投稿してました。なれるかも分からないのにそんな心配するなって感じですけど(笑)。
――「月に1本描くのがやっと」ということでしたが、デビューは週刊誌の「モーニング」ですよね。
三宅 実は投稿するときに間違っちゃったんですよ(笑)。「アフタヌーン」に投稿するつもりだったのが、間違って「モーニング」に出しちゃった。受賞してからもしばらく気づかなくて、連載の話が来たときも「なんで週刊っていってるんだろう?
毎週なんて描けないな」と思いつつ話を聞いてました。
――ではけっこうびっくりされたのでは。
三宅 週刊なんてもう絶対無理だと思ってたんですけど、編集長が「6ページのショートギャグならどうだろう」っていってくれて「それなら描ける」と。でもそれが1回6ページの2本立てということになって、そのうち1回12ページになって……といつの間にかページ数が増えてました。
――いきなりの週刊連載ということで大変だったんじゃないでしょうか。
三宅 今考えてみるとタイヘンだったんだろうなとは思うんですよね。最後のほうはヘトヘトになってたし。でも今は楽しいことしか覚えてないですね。自分のマンガが載るのもうれしかったし、借金返せるのもうれしかった(笑)。全部が初めての経験だったので、楽しかったことしか思い出せないんです。
――今もマンガを描いてて楽しいですか?
三宅 今でもそれはありますね。マンガ家ってみんなそうだと思うんですけど、原稿描いているときが一番楽しい。口ではツラいっていってもツラくないんですよ、きっとね。「描くな」といわれるほうがよっぽどツラいと思う。
――『ぶっせん』が始まったころは、「この人いったいどこから出てきたんだろう?」って思ってました。筆っぽいタッチが新人とは思えないくらいこなれてましたし。
三宅 アレは筆じゃないんです。実はペンの使い方をよく分かってなくて、すごい柔らかいペンを使ってました。背景は筆も使ってますけど。でも読みづらいって評判悪かったんですよね。その当時は「読まないマンガ・ワースト10」に入ってましたから。
――三宅さんは女性ですが、なんだか男らしいペンネームですよね。
三宅 ちょっとふざけてたんですよね。そのころは毎月投稿するたびにペンネームを変えてたんです。最初のころは一つに決めていたんですが、途中でペンネームを考えるのが楽しくなっちゃって。それでどこかに引っかかって担当者がついたらそれに決めちゃおうと。で、それがたまたま三宅乱丈だったんです。でも今となると「もう少し考えたほうが良かったな」と思いますね。実は最近、カタカナが入ってるペンネームがかっこいいなって思ってまして。ジョージ朝倉さんとか、どうしてこんなかっこいいの思いついたんだろうって感じです。「途中でペンネーム変えたらいけないのかなー」と思うんですけど、今さらそれも難しいですよね。
――最後に読者の皆さんに一言。
三宅 マンガを楽しんでもらいたいです。マンガはいろいろなんでもありで作り話ですが、真実といったら大げさすぎるかな、でも自分の中で感じたものしか描けない。作り話だけどウソは描いてない、自分としては正直に描いている。そういうのがマンガだと思います。「だまされたと思って」といいますけど、心を広く持って安心してだまされて読んでもらえたら楽しいんじゃないでしょうか。
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■『ぶっせん』全6巻/講談社
三宅乱丈の初連載作品。貧乏寺である「仏物専寺」が、寺の経営を立て直すため起死回生の一策として始めた仏教専門学校「ぶっせん」を舞台として繰り広げられるギャグマンガ。登場人物たちがスコーンと間が抜けていて、揃いも揃って頭の悪い行動を連発している様子に爆笑。呑気な学園生活というか寺での生活の模様を見ていると、なんだか癒される……かも? |
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