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――『ニセ学生マニュアル』シリ−ズ、『大学で何を学ぶか』『野望としての教養』『教養論ノ−ト』と、これまでの浅羽さんの本はいずれも、読んでいる自分にずばりとリンクしてくる、使える!って感覚があったのですけど、今回の本はわくわくしたりすっきり構図が見えたりはするものの、自分自身にはつながってこない印象がありました。
これまでの浅羽本とは受ける印象が違ったわけですが、著者として想定する読者層にこれまでと違いがあったのでしょうか?
浅羽 鋭い質問ですねえ…。
これまで私は知の「おたく」となってしまう人向けに、その袋小路を警告しつつ、ではあるべき知と知識人の元型を考えてゆくという仕事を中心としてきました。故に、自分がそうだと自覚させられた人には、他人事とは思えないという当事者感を持って読んでもらえたんでしょうね。そうした固定読者が、私には約1万人います。
今回は、新書ということで、ウィングを1万数千、できれば数万まで伸ばさなくてはならなかった。私の夢としては、「おたく」でないけど、知的にものごとを考えるツ−ル、言葉を必要としている人の需要に応えるものを書きたいのですが、それは状況的にも能力的にも無理です。そこで、知の「おたく」にもうなってしまった人、知的専業者予備軍を巻き込もうというのが、今度の本でした。
全共闘世代の思想青年なれの果てで、吉本隆明とかの固定読者のコアとなってきた爺さんたちは、『ナショナリズム』『アナ−キズム』とくれば、どれどれって手にとるでしょう。あるいは若い世代でモラトリアム延長のため大学院進学あたりへ逃避している自分をプーよりはましと思っていて、といって時代を超える独創性なんてなくって、学界の流行だとか思想ジャ−ナリズムの煽りを真にうけて、小林よしのりとか、小熊英二、カルスタやらポスコロやらの蛸壺内限定の話題を思想の中心だと思ってる連中とかね。彼らも素通りはさせない。そういう罠をふんだんに仕掛けましたね。
おかげさまで再版入れて2万1千部出てます。ネットだのサ−チしますと、浅羽の本だからくだらないとは思うけど…なんていいながら買っちゃってる院生とかけっこういて、こちらとしてはひっかかったな−と(笑)。
――しかし、思想青年OBや最近の論壇的なナショナリズム・ブ−ムの気をひきそうな天皇制とか戦争責任、憲法9条といった話題は避けて通っているようですが…。
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浅羽 それらはね、私に言わせれば、もう耐用期限が過ぎた問題提起というか、初めから賛否をわける仕切り枠(パラダイム)としては、思想的有効性が薄いだめなテ−マだったの。勘違いして、皆がやたら大事がって議論したけど、もしかしたら体制サイドの陰謀でさあ、左翼の注目を9条や天皇や戦争責任へ向けさせて、本当にやばい何かを隠蔽したのかもよ。ってのは冗談だけどね。
9条あったって自衛隊派兵できたじゃない。侵略戦争だってできますよ、きっと。天皇なくしたって、実際何がかわりますか。戦争責任については『思想家志願』という本で書きつくしたから、もう触れないけどね。
今度の『ナショナリズム』では、敢えてウェイトかけないことで、挑発したつもりですよ。自分の雑誌で「天皇制」特集して深刻ぶってる大塚英志とかをね。司馬遼太郎の章はそういうポレミ−クなんです。『アナ−キズム』で大逆事件とかにまるで触れてないのも同様ですね。 |
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■『大学で何を学ぶか』(浅羽通明/幻冬舎)
生半可な学問への憧れを、「就職にはまったく役に立たない」と一刀両断。阿部謹也の世間論を駆使しつつ、あくまでもユーザー本位に徹した、きれい事抜きの大学の取説。 |
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■『野望としての教養』(浅羽通明/時事通信社)
法政大学社会学部第二部で行われた社会史の講義を単行本化。「超越錯覚」「マッドサイエンティスト」「部屋」「名前」などを手がかりに、自分の棚卸しのための教養を探る。 |
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■『教養論ノート』(浅羽通明/幻冬舎)
本を読んだり思考することが必然的に抱えてしまう、ひきこもりのジレンマを明らかにし、他人を繰り込んだ知の構築を展望した教養マニフェスト。 |
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