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松尾 書評をふたつほど読んだら、褒めてもらってありがたいけど、読者の感想のほうが素直でいいなあと思ったり。泣けるいい話じゃんとかおれは思ってるんですけど。書評には、笑えるとこしか書いてない。「ギャグ小説じゃないぞー」とか思って。
――正面から書きにくい何かがあるのかな。書く側も体力がいる。豪速球なうえに、ストレートど真ん中じゃない。どこ狙われたんだ?って感じがあって。 なんでここを読んでくれない?とかありますか。
松尾 暴力描写とか、セックス描写とか、アクションシーンとか、モブシーンとかもっと語るべきところがあるじゃん!(笑)ていう。いちいち他の小説がやってないところをやってるつもりなのに、笑いだけかよーですよね。でもまあ、アクション、ドタバタのシーンはかなり筒井さんに影響されてるなと思いますね。いちいちおかしなことにならなきゃ気がすまない。筒井さんの小説で、とんでもない事になって、逃げようとして、豪貨客船にわーっと行ってパニックになって、みんなどんどん押されて後から後から入ってきて、機械にまきこまれながら、みんなぐっちゃぐちゃになって船が進んでいくっていう……なんだったけ?
――『霊長類 南へ』?
松尾 ああそうそう。あれなんか自分の中ですごいインパクトがあって。
――そういうパニック感は後半すごくありました。ゲロもたくさんでてきますよね。
松尾 そんなにゲロまみれですかね? 今度撮った映画もすっごいゲロでてきますよ。なんででしょう、昔からゲロ好きですね。
それは、ミツコの孤独にガツンガツンと押されて蹴られて松尾の口から吐き出された安い酒と安い肴と安い志をシェイクしてできあがった安い安いゲロだった。
ともあれ。フクスケがそれをゲロと認識する暇はなかった。ゲロまみれになった彼の頭上に間髪入れずミツコに蹴り飛ばされた松尾本人が降ってきたからである。
(『宗教が往く』 P160) |
――映画は、「恋の門」ですよね? 舞台やって小説書いて映画撮って。
松尾 まあ、辻仁成もやってることですから(笑)。辻仁成のあとを追い掛けてるだけですから、なにも新しいことはない。それなら芸能人と結婚しなきゃいけませんけどね。しかも二回も(笑)。ぼくの映画のプロデューサーが辻仁成の映画の人なんですよ。素人監督とやるのは俺にまかせろ、みたいな人(笑)。
――映画のほうはもう編集とかも?
松尾 だいたいぼくがやる作業は終わりました。微調整はあるんでしょうけど。
――どうでしたか?
松尾 たいへんでしたねー。この本の校正やりながらだったんでね。一回ロケバスのなかでゲラ読みながらゲロ吐きそうになって。ゲロのシーン読みながら。虚構と現実がないまぜになったような日々でした。必ずこのゲラ持ってたから、重くてしょうがない。映画のスタッフは呆れてたと思いますよ、たぶん。だいたい映画って、集中してやるものなのに、余計なことやってるから、なにやってるんだこの人は?って思われてるんだろうなと思いながら、現場の写真とったり、web用に。
――映画の脚本と小説と戯曲とつくりかたはぜんぜん違いますか?
松尾 うーん。違うといえば違うし、自分のテイストは変わらないという意味では同じだし、一概には言えないですね。やる工程が多いのは映画ですね。こんな事までやんなきゃいけないのかっていう事までやってますから映画は。それにくらべると小説はやっぱり一番シンプル。思ったことを書くという事しかないので。それはやっぱりいいものを見つけたなって気はします。何がなくなってもとりあえず小説は手が動けば書けますから。
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■『霊長類
南へ』(筒井康隆/角川文庫 1986年)
馬鹿馬鹿しい理由で始まった地球最終戦争。破滅を知った人類は、水爆の落ちなかった南へと大暴走を始めた。大ドタバタ破滅SF。 |
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■『恋の門』(全5巻 羽生生純/ビームコミックス
2000〜2001*単行本刊行年)
石を使った漫画を描く自称「漫画芸術家」の男性とコスプレイヤーOLの不器用な恋愛を描いた漫画。こんな設定で、独特な絵柄でありながら、骨太の王道ラブストーリーだ。 |
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