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この本は出たばかりなので、どれだけ読まれるかわからないけど、『寝ながら学べる構造主義』のほうはいま4万部までいっています。著者もびっくりの数字ですよ。4万人が、構造主義というフランスの現代思想をふむふむと読んでいるんですからね。
それだけ潜在的な読者がいたのに、私も含めて学者はそれを掘り起こす努力をしてこなかった。学者は、特殊な訓練を受けていない人に、ある分野の内容を「こういうことなんですよ」って噛み砕いてお伝えすることが大きな仕事だと思うんですけど、それを全然やってこなかったし、それが評価されない仕組みになっているんです。
たとえば翻訳というのは、学者の業績としてはまったくといっていいほど評価されない。1000ページの本を翻訳するための労力と、ペラペラのペーパー(論文)を2枚書く労力だったら、翻訳のほうが圧倒的にかかる。でも文部科学省の配点だと、10対1とか5対1でペーパーに高い点がつくんです。だからみんな業績をとるためにペーパーを書く。以前、僕の知人が、翻訳されていない文学作品について、英語でペーパーを書いて紀要に載せたことがありました。日本人が一般的に読めない作品の研究論文を、英語で書く――それは一体何のためにやってるの?と思うんだけど、こういうのが高い業績評価になるんだよと言うんです。でも、そんなにすばらしい作家がいるんだったら、研究論文を書くまえに翻訳をなぜしないのかと思うんですけどね。
僕は翻訳は大好きで、いずれいろんなものの翻訳をやりたいなと思っています。村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳しましたよね。野崎さんの訳も名訳ですけど、たとえばああやって別の人が訳すおもしろさってあるでしょう。僕は、カミュの『異邦人』を訳したいと思っています。僕の訳だと、たぶんいま読まれている『異邦人』と全然印象が違ってくると思うんです。いろんな人の翻訳があって、読者は自分の一番好きな訳文のスタイルのものを選んで読める、そういう選択の自由があってもいいですよね。山形浩生さんがプロジェクト杉田玄白をやってますけど、あれはほんとに先駆的なすばらしい運動ですよ。できれば、ネットではなくて単行本で読みたい。ああいうことがもっともっとあっていいですよね。 |
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『ためらいの倫理学』(冬弓舎/2001年)
ブレイクのきっかけとなった1冊。戦争、性、フェミニズム、正義、ポストモダニストといった硬派なテーマを、痛快かつ軽快に次々とさばいていく。いままでなんとなく感じていたモヤモヤや違和感に、的確な言葉が与えられることの快感が味わえます。書評や批評を通じての、悪口、辛口の度合も他の著書に比べてかなり濃厚。『おじさん的思考』の漱石論と双璧をなすカミュ論も必読。 |
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