インタビュー嶽本野ばら、乙女とはハードボイルドなのです

「メディア・アクティビスト 池松江美」としての活動。
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――もともと「メディア・アクティビスト 池松江美」として活動されていて、そのうちのひとつのプロジェクトが「漫画家 辛酸なめ子」という感じでしたが、最近は「辛酸なめ子」のほうが有名になってきましたね。

辛酸 自分で「辛酸なめ子です」と名乗るのがちょっと難しいんですが。

――メディア・アクティビストになろうと思ったきっかけは?

辛酸 大学で上野俊哉先生の授業をとっていたんですけど、授業でメディア・アクティビストというものを知って。「複数のメディアで活動する人」という意味なんですけど、その語感が気に入ったのと、複数のメディアで活動するというのがいいなあと思って、それを自分の肩書にして名刺にも入れていたんです。それが94年くらいで。その数年後、あるパーティーで上野先生に紹介され、名刺を渡したら、「10年早い」みたいに言われて叱れたという……。

――上野先生は、辛酸さんのことを覚えていたんですか?

辛酸 いえ。先生の授業をまじめに受けてレポートも優だったんですけど……。

――辛酸/池松さんは本当にいろんなメディアで活動されていますよね。アート作品の制作から、漫画、エッセイ、小説、そして最近は「詩人 ナメリ」としても。

辛酸 でも、上野先生がおっしゃるメディア・アクティビストは、もっとアカデミックな存在だと思うんですけど……。上野先生とか、野々村文宏さんとか、そういう知的な評論系の文章を読んでも3行くらいしか意味がわからなくて。私の本をお読みになってもわかるとおり、論文みたいな文章を書くことができないんです。「難しい文章が書けない」というのがずっとコンプレックスだったんです。

――そんなコンプレックスを?

辛酸 高校くらいから、まわりの人が論文を読んだり書いたりするようになって、言葉が通じなくなったような感覚がありました。「小林秀雄を読破した」とか言っていて。それでちょっと普通の受験をあきらめたような感じですね。みんな「小説を読むと、頭が悪くなる」とかいう話をしていて……。

――中学・高校は女子学院ですよね。芸術系の大学に進学する人は少ないんですか?

辛酸 クラスに一人か二人ですね。


――大学はムサビの短グラ(武蔵野美術大学短期大学部グラフィックデザイン専攻)ですよね。ムサビ短グラ出身の方は優秀な方が多いという印象がありますが。

辛酸 わりと即戦力を育てる学校でした。最初はデザイナーに憧れていたんですけど、デザイナーって緻密な作業が多くて、それができなくてデザイナーはあきらめたんです。私の人生は、あきらめの連続です。

――これまでの人生、あきらめ、挫折の連続なんですか?

辛酸 小学校の受験に落ちたときから……。

――でも、中学ではちゃんと名門の女子学院に受かってますよね。

辛酸 中学受験したのも、親に「あなたは可愛くないから勉強でがんばりなさい」と言われ、小学校でいじめられ、泳げないからプールのない学校に行こうという、ネガティブな動機ですよ。大学も芸大とかいろいろ受けたんですが全部落ちて、最終的に現役で行けるところに行ったって感じで……。
『ニガヨモギ』(三才ブックス/2000年) 「アストラルトリップ(幽体離脱)風異常体験が味わえる魅惑のコミック」(帯より)。辛酸なめ子ファースト漫画集。「ニガヨモギ」は旧約聖書の一節「私の悩みとさすらいの思い出は、ニガヨモギと苦味だけ」から。実質デビュー作となったGOMES賞受賞作品「ザッツ先見ゼミ」から以降6年間の漫画、そして半分は描き下ろしを収録。小学2年生の幻の処女作「かなしみをのりこえて」も収録。
『千年王国』(青林堂/2001年) 新世紀に幸多かれと祈願して編纂されたセカンド漫画集。「千年王国」とは終末にキリストが降臨して実現する王国でキリスト教世界における理想郷。2000〜2001年に発表された漫画のほか、辛酸なめ子というペンネーム発祥の地である高校生時代のフリペ「小西新聞」や「号外ヤドカリ」(発行者:胃毛魔杖魅)、大学生の頃に発行していたフリペ「マスニュース」(発行者:池鱒江美)など初期のレア作品を収録。高校時代から現在まで一貫した作風であることがわかる。装丁も著者が手がける。

今年のテーマは、ソウル・メイトと出会うこと 前のページ 4/5 次のページ