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非モテの文化誌
words by demi/illustration by ささこ バックナンバー
非モテ人間は現代の被差別階級なのか? 異性を発情させるのがそんなに偉いのか? 文学を手がかりに、いっそ、非モテライフをエンジョイする方法を探っていこう! 今回のテキストは、「檸檬」で有名な梶井基次郎の青春時代。

第22回 非モテのレモン・テロリスト――梶井基次郎の巻(前篇)

『年表作家読本 梶井基次郎』(鈴木貞美編著/河出書房新社)
10月10日の閉店をひかえ、書店「丸善」京都河原町店にレモンを置いて逃げる人があとを絶たないそうです。ムシャクシャするからレモンを爆弾に見立てて丸善爆破を妄想してスッキリ、という梶井基次郎の短編小説「檸檬」にちなんだ行動。爆破するまでもなく閉店するのにレモンを置かずにはいられないなんて、梶井基次郎の愛されぶりがわかろうというものです。ところで梶井基次郎といえば、繊細な作風とゴツイ容貌のギャップが語られがちな作家の一人。真面目な文芸評論ですら、

梶井基次郎の小説を集めた『城のある町にて』に、例えば梶井が着物を着てイスに座っている例の霊長目類人猿科最大の動物を連想させてしまう写真を掲げることは、まずないだろう。
『読むための理論』(世織書房)

などと遠まわしに(でもないか)ひどいことを書かれてしまう始末。

しかし桜の樹の下に死体が埋まっていると妄想してみたり、猫の耳を切符切りでパチンと切りたい欲望にかられてみたりと、常人には及びもつかないエキセントリックな妄想パワーはあのいかつい容貌あればこそ、だったのではないでしょうか? というわけで、梶井基次郎の作品とその人生を、例によって非モテ目線で眺めてみたいと思います。

女遊びが激しい会社員の父と厳しい母のもとに生まれた梶井基次郎は、夏目漱石を愛読するごく普通の理系少年として育ちます。大正8年3月30日、中学を卒業した基次郎は評判の美少女・池田ツヤに初めての片思い。基次郎には恋心を言い触らさずにはおれないという不思議なくせがありました。恋に落ちるやいなや、

「私は非常な恋愛状態にあります。私としては初恋であるこの危期が私の身辺に犇々とつめかけてゐます、敏さん同情して下さい」
「見んごと三高へ突入してその人にみてもらはうと思つてゐるんです」
「恋は不安です、只不安です、私は夢ではないかと思ひます、同情して下さい、気の毒やと思つて下さい」

と友人に手紙で訴え、友人たちの家を訪ね回り、それでも足りずに彼女の家のまわりを三時間もうろついた挙句、その足で兄を銭湯に誘って恋の相談。さらに基次郎は友人たちを散歩に誘い、ツヤとはすでに両思いであると吹聴します。そして翌日には、

僕は自分で書いた一寸したまあ小説みたいなものの梗概を話をして僕の作物をどういふ批評で見て戴けるかといふことを例の考へ方のtrickでまんまと君等を中毒させました。艶さんとは絶対的仮説の関係であります、今後僕は考へ方のtrickは全然廃止して赤裸々の梶井となつて君等に見(まみ)えますからあのことは一寸取消します

と手紙でネタばらし。ウソというよりは、「考へ方のtrick」、つまり受け止め方次第で両思いと思い込むこともできるのだという萌え妄想の表れだったのかもしれません。しかし「恋愛」を「男女両性合一の前提」(=セックスの前フリ)と科学的に言い換えてみて萎えた基次郎は、恋に落ちてからわずか10日後でスピード失恋(勝手に)。そして失恋ポエムを友人への手紙にしたためるのでした。友人の皆さんは大変だ。

めでたく三高に進学した基次郎は、学友たちの影響でさまざまな文学作品を読みはじめます。親友はゴツゴツとした容貌がそっくりと評されていた同学年の中谷孝雄。しかし中谷は顔がそっくりと言われるのは嫌だったようで、『梶井基次郎――京都時代』の中で、二人の容貌の違いを長々と力説しています。

白樺派の上流階級的な価値観や学友らの生活に触れた基次郎は、町人の子で風采の上がらない自分にコンプレックスを抱くようになります。裕福な友人の家に遊びに行き、その家の美容クリームを顔に塗り出したことも。借りた哲学書がちっとも頭に入らないことも劣等感をかきたてます。友人への手紙で「要する所は俺はあまりに町人の子だ、町人の子は駄目だ」と泣き言をもらしたのもこの頃です。

中学時代からの友人・中出丑三は、当時の基次郎の言動をこう回想します。

「自分の容貌が怪異な事のあきらめは出来たが、科学への才能の凡庸な事に就いては、まだ親と天をおうらみに思ふ」……その頃彼は外出に当つて人知れず鏡の前に立つて、襟のはだけやうを加減し、鉛筆の粉を顔に塗つた。
「梶井基次郎のこと」より

ガタイのいい基次郎が襟をはだけ、靴クリームならぬ鉛筆の粉を顔に塗ったさまは、今ならばB系オシャレさんとして通用したかもしれませんが……。遊んでいるブルジョワ学生たちを蔑みつつも彼らの知性に奮起した基次郎は、家で1日6時間以上勉強することを決意。オナニーをやめなければ!と誓うのでした。

後悔ハ罪ヲナシタ直後ニ起ルモノデアツテ直前ニ消ユルモノデアル、
自分ハ罪ヲ作シタ直後ニコレヲ綴ル、綴ル俺ノ心ノ中ハ激シイモノガ動イテヰナイノハ何故デアラウ、ドウシテモJamesノ言ツタコトガ正シイ様ダ、
(大正9年12月3日の日記)

ここで言う<罪>とはオナニーのこと。当時、知識階級の若者たちの間ではオナニーを罪悪視するキリスト教的価値観が浸透していました。とはいえ、この日記からはオナニーをしてしまった罪悪感というより、オナニー前後における心理状況の変化を冷静に観察し、哲学者の学説との一致を確認する理系的な感性が伺えます。基次郎はまた、オナニーのことを日記で「自愛のスプラッシュ」と記したりもしました。こんなにもオシャレな自慰表現を私は知りません。

大正10年、肺病のために1年生を2回繰り返した基次郎はようやく2年に進学。同じ落第仲間の中谷孝雄は平林英子との同棲を始めました。自由恋愛の思想が広まっていたとはいえ、20歳の学生が恋人と同棲するのはまだまだ珍しいこと。下宿でいちゃつく彼らに煽られたせいか、通学電車で見かけた同志社女子専門学校の学生に恋をします。英語の恋愛ポエムを本から破って彼女の膝の上に置くという大胆告白に挑みますが、「知りません!」の一言で玉砕。

基次郎はいつもの暴露グセで、断り文句を何度も口まねしながら中谷たちに失恋を知らせました。この体験をもっと詳しく伝えるために、彼は生まれて初めて小説を書きます。残念ながらこの処女作は失われてしまいましたが、失恋暴露癖が小説執筆に目覚めたきっかけだったとは驚きです。基次郎は平林英子にも淡い恋心を抱いていたものの、中谷は英子を一人で彼の下宿に預けたこともあるほど、彼のことを信頼していました。基次郎の「いい人」ぶりが伺えるエピソードです。

大正10年10月16日の晩、友人たちとボート遊びをした帰り、酔っ払った基次郎は電車通りで大の字になって「俺に童貞をすてさせろ!」と叫びました。そこまで思いつめていたのか……と彼を祇園へ連れてゆく友人たち。しかし翌日の日記に「昨日は酒をのんだ、そしてソドムの徒となった。あの寝る時の浅ましい姿」と書いてすっかりしょげかえる基次郎は当時の基準からしても潔癖な青年でした。以来、「堕落した」「純粋なものがわからなくなった」などと口にするようになります。

失恋小説を書いてみたとはいえ、当時の基次郎は文学好きの理系学生にすぎませんでした。彼にあったのは、コンプレックス、抑えられない性欲、虚栄心といった自分の弱点を観察し、難解な哲学書を律儀に読み解きながら、自らの意識や心理を客観的にとらえようとする分析癖です。

大正11年、21歳の基次郎にとっての主な観察対象は性欲でした。創作メモにも、他の青年が聞いているのを承知でオナニーする男の気持ちを「堂々と醜いことをやる」「無常の優越感」と書く小説のあらすじが残っています。

性欲的方面に働く吾人の鋭敏さは本当に窺ひ知ることが出来ない。独探の様に驚く様な所に働いてゐるものである、それは吾人の抑制、意識的な外的の意志ではその芽を抑へ尽すことが出来ない。それは最も強い無意識的に働く宇宙の意志である。
(『梶井基次郎 表現する魂』より)

禁欲に禁欲を重ねた挙句、性欲とは宇宙の意志である!と喝破した理系青年が、やがて妄想力で森羅万象に萌えるパワーを身に付けるのはまだまだ先のことです(次週に続く) 。

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(文・demi/Beltorchicca 絵・ささこ/おもパン

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