非モテ人間は現代の被差別階級なのか? 異性を発情させるのがそんなに偉いのか? 文学を手がかりに、いっそ、非モテライフをエンジョイする方法を探っていこう! 今週はいよいよ非モテ女子の登場だ。
第7回 プロレタリア非モテ女子、平林たい子の巻(前篇)
この連載を愛読してくださってる女性編集者さんに、「非モテ女子が書いた文学ももっと取り上げたいんですけど、数がないんですよねえ。みんな見栄っ張りなんですかね?」とぼやいてみたところ、「女子の非モテは死活問題だからですよ。結婚できない、就職できないじゃ生きてゆく道がないじゃないですか」と返されました。今も昔も女子の社会的価値は若さと美貌で9割。女子の非モテはまっさかさまにプロレタリアート…なの? だからというわけでもないですが、今回はプロレタリア作家として有名な平林たい子女史をとりあげてみたいと思います。
プロレタリアというだけあって、彼女の生い立ちはものすごい。貧しい農家に生まれ小学生の頃から労働→上京してアナーキストグループと接触→会社バレしてクビ→夫の山本虎三とともに満州に逃亡→過酷な労働→兄夫婦の密告で夫逮捕→監禁された施療院で出産→脚気のために胎児死亡→夫を残して一人帰国→昭和初期にプロレタリア文学作家としてデビュー→病と貧困に苦しみながら反戦を訴え続けた…というディープもディープ、モテだの非モテだの甘っちょろいことを口走ろうものならノーブラボイン撃ちされそうなハードコアぶり。その堅固な思想は時代を通じて少しもぶれることなく、「女から総理大臣を出すとしたら平林たい子しかいない」と言われたほど肝のすわった女子だったようです。しかし生々しい筆致で下層生活の現実を描き出したプロレタリア作家はまた、非モテ女子の悲哀をもえげつなく書き残していたのでした。
処女作「嘲る」(『昭和文学全集〈8〉』所収)はなんと痴女の話。
私は、よく、若い男と行き過ぎたあとで、その男が、近づいて見た私の容貌に失望して、苦笑しているのを見たことがある。
この男も、勿論、容貌によって女を区別し、ゴルフや、帝国ホテルの宴会が好きそうな、青年紳士であった。
次の停留所で電車が止る時にも、私は、その男にもたれかかった。電車が発車する時にも、私はその男の、地質の好い洋服地の腕に顔をうずめかけた。男は、ようやく、この見すぼらしい女が故意に自分によりそうのであることに気づき、眉をひそめて、じろりと見ておいて、吊革を一つ送って向うへ移った。と、私もまた、何気ない顔をして、吊革を一つ送ったのであった。
(中略)
男は、青い顔に、誇張した憎悪の表情を浮べて、私を睨めると、つと立って入口の方へ分けて行った。私はすまして、その座席に腰を下した。何か、快いものが、胸を下るようであった。
これは作家志望で無職の夫に「元カレに頼んで金を借りて来い」と命令された主人公が、一円しか借りれずに帰宅する途中での出来事です。夫の命令には「元カレに体を売れ」という含みもあり、彼女は事実そのとおりにしたのですが、一円では交通費にしかなりません。彼女は耐え切れず、家に帰って元カレに手紙を書きます。
貴方の要求どおりにしたではありませんか。約束の、十五円の金を貸して下さい。こういう世の中で、プロレタリヤの女性が、自分の生存を救うために、唯一のものを投げるのは、やむを得ない事です。
プロレタリア援助交際というやつでしょうか。しかしこの手紙は出されないまま終わります。彼女は電車の中で男の匂いをかぐたびに、「また、この見すぼらしさと醜さに侮蔑される様な紳士はいないかな」と痴漢の獲物を物色するのでした。
彼女の描く非モテ女子は哀れながらも、どこかふてぶてしくて笑いを誘います。
菊代は男のうしろをのぞき込みながら男の苦笑を想像した。強い意志を持った女の顔が、君等のような種類の男に美しく見えるはずはないよ――菊代は、ぱっと明りがさしたように明るい羽織で、頬骨の高い声で、救世軍の歌をうたいながら歩いて行った
「感謝週間」(『平林たい子全集1』所収)
この図抜けた明るさはどこから来るのかしらって、勝手な妄想ですがボインに秘密があるんじゃないかとふんでみました。作者を投影したとおぼしき各作品の主人公が巨乳であることはそこかしこにほのめかされています。「蝿も止りそうな魚の腸」(「感謝週間」)、「猫の死体」(「嘲る」)とはあまりありがたくない乳表現ですが、作者の着替えを手伝った女性によると、50代とは思えぬほどの美巨乳だったそうです。
写真家の若杉慧は「平林さんは、男の私の目から見ても、ポスター型美人には見えませんでした(肉体美は別として)」といいにくいことをはっきり書いてます。道行く男たちに容貌を笑われながらもアナーキストの無職男たちと恋を重ねることができたのは、彼女の類まれなる生活力と豊かなボインのおかげだったのかもしれません。
しかし寄ってくるのは無職男ばかり。エンコーしても一円。戦前のことですから職業婦人の口などそうあるわけでもありません。生活は自然と厳しいものになってゆきます。
こればかりの給料をとるためにこんなに正装してどうして割に合うのかと思われるような美しい着物をきた女や見すぼらしい女やがあとからあとから詰めよせて来る求人者の面会場所は耐えがたい苦しみの場所だった。そこでは女同志の視線は否応なしに相手を観察するために鋭く冷く光った。どうかして相手の欠点を見つけ出してホッとしたい気持、ただそういう気持だけでそこには無言の対峙が頭数だけ突き合った。こういう場所での観察の道具は最初から最後まで眼だった。物の表皮の一重をしか観察できない眼という器官が選び出すものはまず服装だった。次に容貌だった。そのどちらについても定子は最も後の地位しか得る自信がなかった。ある株式店の人事係は定子が見ている所で、容貌の欄に35という点数をつけた。
「不幸と幸福――令夫人読本」(『平林たい子全集2』所収)
この女学校を卒業した当時としては知識階級であるところの定子も、顔面偏差値35のためにまともな就職ができず、下層労働へおちてゆくのです。非モテ女子はやっぱりプロレタリアになるしか…。
もっとも、戦前戦中と貧困、病、アナーキズム、獄中生活などをテーマとしてきたたい子にとって、非モテはあくまでも底辺生活を描くためのスパイスにすぎませんでした。しかし戦後、病から復活した彼女は非モテをテーマに据えた作品を次々に生み出すのです。というわけで次週に続く!
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