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愛と学問の旅立ち
words by サイトー商会 バックナンバー
若手の学者がおもしろい。東浩紀、北田暁大だけじゃない、経済でも哲学でも思想でも政治でも、元気な論客たちが爪を研いで出番を待っている! そんな彼らに突撃インタビューしていく連載です。中島岳志の3週目、窪塚洋介が体現する「平成ネオ・ナショナリズム」とは?

第30回 ヒンドゥー・ナショナリズムと平成ネオ・ナショナリズム――中島岳志インタビュー 其の三

中島岳志(なかじま・たけし)
愛と学問の旅立ち
1975年大阪生まれ。大阪外国語大学(ヒンディー語専攻)卒業。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。京都大学人文科学研究所研修員。南アジア研究の若き俊英。ヒンドゥー至上主義の民族奉仕団(RSS)や世界ヒンドゥー協会(VHP)に体当たりし、ヒンドゥー・ナショナリズムの最前線を生で伝えた『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)が大いに注目を集めた。その集大成ともいえる『ナショナリズムと宗教――現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』を8月に上梓。4月にも学生時代以来、魅了され続けたインド独立運動の闘士ラース・ビハーリー・ボースの生涯を描いた『中村屋のボース』(白水社)を刊行した。

『〈愛国心〉のゆくえ』書影
『ナショナリズムと宗教――現代インドのヒンドゥー・ナショナリズム運動』(春風社)
――日本に引きつけてお聞きしたいんですが、多くの日本人にとって、いまのところ宗教は個人が好きでやればいいものだと思っています。少なくとも、それが戦前のようにナショナリズムに結びつくとは考えていない。
  専門用語でいえば「世俗化」ということになると思いますが、近代化すると宗教は社会から切り離されるというのはよく言われることですが、『ナショナリズムと宗教』では、そういった世俗化論に異議を唱えていらっしゃいますよね。


中島 世俗化というのは、実証的な事実としてあるものではなくて、「そうあるべき」という規範であり、パラダイムだと思うんです。実際、世俗化論ではヒンドゥー・ナショナリズムの高揚という現象を分析できないわけですよね。

――世俗化が足りん、と断罪するだけになってしまう。

中島 ホセ・カサノヴァという研究者は、世俗化というパラダイムを三つに分類しているんです。噛み砕いて言うと、一つは政教分離ということで、政府と特定の宗教勢力を切り離す。二つ目は、宗教自体が近代によって意味を失っていくという意味での世俗化。そして三つ目が、公共領域全体から宗教を排除して、プライベートな領域に宗教を囲い込むという意味での世俗化です。
  このうち一つ目の政教分離については、カサノヴァも有効だとしているし、僕もそう思います。でも残りの二つは、そうはいかないでしょうと。実際、世界各地で宗教が公共領域にせり出してきています。これに対して、前近代だから、世俗化が足りないから、という批判は当たらない。

――インドなんてIT大国でもありますしね。

中島 インドは、1991年に市場開放して、びっくりするくらいのスピードで消費社会化が進んでいます。でも、見えないところで大きな悩みを抱え始めていると思うんです。ヒンドゥー・ナショナリズムだけが勃興しているのではなく、各種の新興宗教も急速に拡大している。メディテーションやヨーガ、リラクゼーショングッズの市場拡大なども同時進行しています。そうしたなかで、「あるべき価値」の探求が再活性化しているという状況です。
  そしてこれは、インドだけの話じゃないと思うんですね。つまり、現代社会が世界的に抱え込むアイデンティティや価値の問題のインド的な現れの一つがヒンドゥー・ナショナリズムなのではないかと思うんです。

――日本はどうなんでしょう?

中島 日本では、現在の若い世代のナショナリズムと、以前のナショナリズムとは質を大きく異にしていると思っています。
  かつて政治学者の橋川文三は、明治のナショナリズムと昭和革新ナショナリズムの断絶性を強調し、後者は大正教養主義に根ざした宗教的価値探求の側面があると論じましたが、これは戦後ナショナリズムと「平成ネオ・ナショナリズム」の間でも同じことが言えるのではないかと考えています。
  明治ナショナリズムに近いのは、新しい歴史教科書を作る会とか小林よしのりとか、あのへんの人たちですよね。諸外国に対して一人前の国として自立したいとか、中国や北朝鮮の要求に屈するなとか。こうした態度は、明治の日本人と非常に近い。
  ところが、大正の教養主義を経たあとのナショナリズムは全然違う。日露戦争に勝ったことが大きいと思うんですけど、その時期の若者たちは、政治の世界というよりも文学に目覚めるわけですよね。そういう大正の煩悶青年たちが担っていくナショナリズムというのは、非常に人生論的、宗教的なもので、生命主義のようなものと親和していく。

――いまの日本の若い人たちにも、そういった兆しがあると?

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中島 30歳の僕あたりがギリギリ一番上だと思うんですけど、それより下の世代って、バブルを知らないんですね。テレビでジュリアナ東京とか見ながら、浮かれたやつらがいるらしい、ぐらいの感覚でした。すでに右肩上がりの時代は終っていて、イチローとか野茂がアメリカで活躍している。だから、年長世代のように、アメリカに対するコンプレックスもそんなにない。しかも立身出世とか金儲けが一方で崩れて、将来が非常に不確かな環境に置かれている。
  そういう世代が孕んでいるナショナリズムというのは、小林よしのりとは違うんですよね。「ゴーマニズム宣言」を読んで、何かを受け取っている。でもその受け取り方は、30代以上とは全然違うような気がしています。
  たとえば「平成ネオ・ナショナリズム」の典型的な形として、〈窪塚洋介〉の言説に以前から注目しているんです。彼は横須賀高校の教室の窓から外を眺めつつ、「オレって誰なんだ」という問いを発し、俳優業に飛び込んだ自分探し系の人物ですが、それがストリート、ヒップホップ、マリファナのような抵抗文化とつながり、「謝罪外交を繰り返すかっこ悪い日本」へのアンチテーゼとしてのナショナリズムを育んでいっている。
  それは、「オレを生んでくれた大地に感謝」的なヒップホップの歌詞にも共通していて、ナショナリズムと「生命」がつながってくることがポイントです。
  つまり、「強い石原慎太郎」や「小林よしのりの『戦争論』」への賛同がストリート的・スピリチュアル系抵抗文化とつながっている。こういうところに、「平成ネオ・ナショナリズム」がもつ今後の危険性があると思うし、同時に、これは国柱会のような日蓮主義や生長の家、大本教などの生命主義の流れが昭和革新ナショナリズムと絡まりあったことと同様の問題だと思っています。
(斎藤てつや/サイトー商会)

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