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愛と学問の旅立ち
words by サイトー商会 バックナンバー
若手の学者がおもしろい。東浩紀、北田暁大だけじゃない、経済でも哲学でも思想でも政治でも、元気な論客たちが爪を研いで出番を待っている! そんな彼らに突撃インタビューしていく連載です。鈴木謙介の最終回、コミュニティ再生のヒントを具体的に語ってもらいました。

第9回 コミュニティ再生のヒント――鈴木謙介インタビュー其の五

鈴木謙介(すずき・けんすけ)
1976年福岡県生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科研究博士課程単位取得退学。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・助手。専攻は理論社会学。社会学の道具立てを用いたネット社会の分析には定評があり、若き論客として注目を浴びている。著書に『暴走するインターネット』(イーストプレス)、『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)など。ついでながら宮台真司の弟子としても有名。
公式サイト:SOUL for SALE

『カーニヴァル化する社会』鈴木謙介/講談社現代新書
――鈴木さん流のコミュニタリアニズムのヒントになるような、具体的な出来事なり運動はありますか?

鈴木 ヒントといえるようなことかどうか分かりませんが、ちょっと補助線になるような話をしてみたいと思います。近年、流行になっているといわれる「スピリチュアリティ」に関することなんですね。
  スピリチュアリティというと、書店では「精神世界」なんてコーナーに並んでいて、疑似科学やオカルトに結びついた、宗教的なものがイメージされていると思います。ですが近年、こうした組織的なものやカルト的なものにとらわれない、個人の選択によって培われる緩やかなネットワークが、スピリチュアリティ・ブームを支え始めているんですね。たとえば、以前みたいにインドとかを放浪して、そのまま現地に沈没、なんて例が少なくなってきている。

――インドに行く日本人の若者が減ったという話は聞いたことがあります。いわゆるバックパッカー的な行動全体が退潮しているかもしれませんね。

鈴木 テクノ、レイヴ、インドみたいなものが一体となってサブカルチャーを形成していた時代というのが90年代にあって、そのころに学生とか20代だった人たちが、世界を放浪しながら自分探し、みたいなものの最後だった気がするんですけど、いまはどちらかというと、もう少し人口に膾炙したスピリチュアルなものが「自分」へと繋がる、というルートが増えているんじゃないでしょうか。

――スピリチュアリティも大衆化したわけですね。


鈴木 スピリチュアルなものにコミットすることが「世界」と「私」との調和的な生を維持する、というスタンスがそこにあるんだと思うんですが、その大衆化の果てにあるのが、「私らしさ」を取り戻そう、みたいな運動、例えばスローフーズ、スローライフ、田舎暮らしなんかだと思っています。
  むろんこれらの運動は、別に内容的にスピリチュアルである必然性はない。でも、今の語られ方は、かなりスピリチュアルな方向に傾いていますね。自然や、人々の繋がりというか、ネットワークがもたらす「気づき」なんかが重視されるわけです。
  こうしたスピリチュアリティ・ブームが、問題を引き起こすことも考えられます。たとえば、それ自体が一種の清涼剤的なものとして、瞬発的に利用されるだけになってしまうとか、あるいは、田舎暮らしを夢見て地方にやってきたはいいが、すぐに飽きてしまって長続きしない、とかですね。
  しかしながら逆の見方をすれば、こうしたブームを通じて色んなネットワークに開かれていくことで、人々が自分をコミュニティにコミットする存在として自分自身を位置づける、正確に言うと、スローライフとかスローフーズというのが単なる清涼剤じゃなくて、自分自身のアイデンティティの基盤になると考えられるようなところまでもっていく必要があると思うんですよ。そこまでいくと意味があると思うんですけど、ただ、いまはどちらかというと自分自身の不全感を満たすための麻酔みたいになっているわけですよね。

――自己満足の世界に近いような感じですね。少なくともコミュニティにはつながっていく気配はまだ薄そうな……

鈴木 スピリチュアリティ・ブーム自体は、宗教性みたいなハードさが薄れたことで人口に膾炙するんだけども、その膾炙の仕方がカーニヴァル的になってしまうとまずいという気がします。それをどう防ぐかと考えたときに、カーニヴァル化しかねないスローフードといったものをテコにして、地域とかコミュニティとかから、アイデンティティの基盤を得られるような形の方策が必要ですよね。
  そういう意味では、これまでの日本社会が持っていた福祉国家的な政策や平等主義政策、つまりいっぺんにお金を集めてきていっぺんにみんなにばら撒くというようなやり方とは違っていて、地域単位で自立をしていかなきゃいけないし、そのコミュニティがもっているイメージというものを自分たちで作って発信をしていかなきゃいけない、というふうになる。そのことによって経済的な格差が日本の中で広がる可能性は高いけれど、自分が住む地域やコミットするコミュニティ、アイデンティティは選択できるということ、だがしかし、コミットしているコミュニティから人びとがそんなに簡単に離れていかないだろうと思えること、すなわち流動性期待が低いこと――を満たすかぎりにおいて、コミュニティは有効だと考えるんです。

――旧来の地域共同体とは違って、選ぶ自由はあるということですね。ただし、コミュニティが継続していくためには流動性期待は低くないといけない。なるほどぉ。たとえば参考になるモデルとかありますか?

鈴木 最近興味深かった例だと、「Save The 下北沢」という運動があります。下北沢の北側に巨大な道路が通ることで、下北沢の北側の街区や文化が破壊されてしまう。それで道路建設反対運動が起きているんですね。
  この運動にはいろいろな批判もあって、たとえば地域住民が参加していないじゃないか、昔からそこに住んでいる住民じゃなくて、下北沢にゆかりのある文化人なんかが集まってやってるだけじゃないかという。でも、これは批判としては当たっていないと思います。なぜかというと、先ほどいった現在の地域的なものやコミュニティというのは、昔のいわゆる地域共同体とは違うわけです。だって、そうした地域共同体は、戦後の国土開発によって一度国家に全部統合されて、等しく国家の国土ということで開発の対象になったわけですよ。その結果、国全体でバランスシートが取れればいいやということで、ある地域には工業地帯を作ったけれど、ある地域は過疎化して、経済的にも人口的にも不均等が生じた。つまり日本の国土は、統一されたがゆえに地域性というのは一度失われてしまったわけです。
  けれども情報化の時代になると、地域の情報がその地域の性格を決するようになってきます。具体的には、下北沢には北沢何丁目といった地域があるんですけど、その上に「シモキタ」という「イメージ」が被さって、「下北沢」という地域を形成しているんですね。このイメージの境界というのは非常にアバウトで、だから外から入ってきた人もコミットするし、中に住んでいる人もコミットしていく。こうした「イメージ」を元手にしてしか、人々は地域的なものへのコミットの仕方を見いだせないと思うんですね。

――イメージに対してコミットしていくということですね。

鈴木 観光なんかは特にそうだと思うんですよ。京都も湯布院もそうですけど、地域のイメージを作り上げることで具体的な地場産業を振興していくということが一般的になりつつある。その地域のイメージにコミットしていれば、別に僕は住んでいるとか地域住民であるとかいうのは関係ないと思うんです。
  ただし流動性期待を下げることが重要ですから、そこにいついてもらう人に、メンバーになってもらう必要がある。下北沢の場合はカタカナの「シモキタ」というイメージに寄せられてきた人がそこで家を建てて、子どもを育てたりしているわけですね。そういうタイプの地域の再生こそ、これから考えていくべき課題だと思います。

――刺激的なお話、どうもありがとうございました。次なる著作、首を長くしてお待ちしています。

次週予告

次週からご登場いただくのは、財政学の若き俊英、土居丈朗さんです。三位一体改革、郵政民営化、財政再建の処方箋など、最近のホットな時事問題について語っていただきます。どうぞお楽しみに!
(斎藤てつや/サイトー商会)

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