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2004/8/3 Vol.159
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今週のテーマ  電車で行ける海外旅行!?
群馬のブラジル探訪記
2 調査リポート1: なぜリトル・ブラジルができた?
サト研究員
サト
 
  道を歩いていると、すれ違う人の3人に1人くらいは外国人。車に乗っている人もだいたいブラジルの人でした。群馬の、こういっちゃ何ですが、のどかさの残る田舎町。そんな町が、どのようにしてリトル・ブラジルになったのでしょうか。  
「ブラジリアンプラザ」内のお店で見つけたミンチマシーン。日本で一般販売されているのは、まず見かけない。
「ブラジリアンプラザ」内の掲示板。まったく読めません。
「ブラジリアンプラザ」の2Fはこんな感じで地元の人たちが集っている。
教会。外国人たちがたくさんいた。
道で出会った少年たち。ブラジル・タウンというだけあってサッカーは盛んとのこと。普段はそこら中でフットサルをしているのを見かけることができるらしい。
2002年6月にサッカーW杯でブラジルが優勝したときは大賑わいだったというここ大泉町。町内には、人口の約14%以上、約6,000人の外国人が生活しており、その多くが日系ブラジル人だという。

群馬県の東南にある小さな町に、なぜこんなにブラジル人が集まったのだろうか。

そもそものきっかけは、1990年ごろ、車などの工場の多いこの町で労働者不足が問題化したこと。1990年「入国管理及び難民認定法」(入管法)が改正され、日系人の雇用が合法化されたのを機に、当時の町長が、ブラジルの姉妹都市グアラチンゲータ(サンパウロ州)から働き手を呼び集めたのが始まりだ。

同年に、行政と民間が一体となった公益法人、群馬県国際交流会が発足し、街の国際化に積極的に対応。早くから外国人にとって住みやすい環境を整えてきた大泉町は、「日本に行くなら大泉町」という公式を日系ブラジル人たちの間に作り上げることに成功した。

サッカーW杯のときは盛り上がったというスーパー「ブラジリアンプラザ」。食料品は衣服、家具などがあり、軽食も食べられる。
スーパーの前の屋台でシュラスコ(ブラジルの炭火焼)をほおばっていたブラジル人デザイナーも「日本に来てまだ数ヵ月。でも、大泉町なら仲間がいるし、ブラジル人学校もある。食べ物にも言語にも困らないから、快適だよ」と豪快に笑う。

町内には、簡易的な建物ではあるが教会も点在。外国人の生活の場として地に足がついている印象を受けた。

一方で、町で出会った日本人は、「残念ながら日系ブラジル人のコミュニティーと日本人のコミュニティーはあまり交流がない」と口をそろえた。たしかに、日系ブラジル人をターゲットにしているだろうお店と、そうでないお店がキッパリ分かれている。せっかくのリトル・ブラジルなのに、ちょっと残念な気がする。
5調査リポート4:ブラジル料理にトライしてみる